もともとノベルゲームっていうのはADVの表示形態を変えた派生系として生まれたものだろ
今までのADVが下部ウィンドウに数行づつしか表示できないのに対して
全画面に文章を表示することで、今までつかえなかった小説的文章演出を可能にした
只それだけのもの
そのご、ならばプレイヤーが選ぶ選択肢や分岐が無くても成立するんじゃないの?ってことで
只見るだけのゲームが生まれたわけで

推理小説や推理ドラマの結末やタネなどを途中で話されると烈火のごとく怒る人が多い
自分は経過や演出を重視して楽しむ方なので最初はその怒りが理解できなかった
そのご神宮司三郎などの推理ADVをやってなんとなくその怒りが何であるか理解した
多くの人は推理小説を読みながらただ経過や演出を享受するだけでなく
自分も推理というゲームに挑んでいるのだと、つまり自分で選ぶ選択肢などなくても
頭の中で思考のゲームは成立するのだと気が付いた

よってノベルというジャンルはADVの一派だと自分は考える