>28は正論だよ。ここの人達は松岡が松尾和子や東京キューバンボーイズとやってた頃
 なんか知らないし、ましてや青い三角定規の太陽がくれた季節のアレンジで
 レコード大賞アレンジャー賞を取っている経歴すらしらないのが実際だよ。
 そのへんレベルをふまえて答えてあげなさい。
 それと、エセラテンとはおもしろい表現だね。
 
 でも、「見知らぬ街で」が出た頃の日本には今のような本格的なラテンを受け入れてくれる
 ような、音楽シーンではなかったんだよ。彼はフュージョンってムーブメントに
 合わせてラテンとの融合を図ったから、ああいう作品になったと思う。
 昭和50年代に日本では本格的なラテンバンドが次々と解散していったので、
 松岡が生き残るにはこういう作風にせざるを得なかったと思う。
 「ウォーターメロンダンディーズ」以降の作品はやや‘本場‘に
 近づいた作品が作れるようになったように思うけどね。
 昭和60年頃日本人でモントゥーノがまともに弾けたのは松岡くらいだったよ