前スレ487でアッシジのフランチェスコの祈りを書いていた人が居ましたが、
災害にあっている人に対してあの言葉はひどい剣になりはしないだろうか。

「私たちがあれこれ求めることをやめ
かえって慰められようとするよりも慰めることを
理解されようとするよりも理解することを 」
ってさぁ。ちょっと夕べ考えたけど。

「絶望には希望を
悲しみには喜びを
闇には光を」のところだって「もたらすことができますように」になっていて
「もたらされますように」ではないんだもん。

時としてキリスト者はとんでもない剣を痛み苦しむ人に投げつける。
救いに与ったという選民意識からだろうか。

いまはてっていてきに
必要な物を求め得られ、
慰めるよりも慰められ、
理解するよりも理解される事が必要で、
絶望に希望、悲しみに喜び、闇に光が「もたらされる」ことが必要なのではないか。