グローバル化という名の卑屈
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0001ふんわり ★
2014/04/21(月) 23:43:14.55ID:???0その結果を受けて記事では「グローバル化に逆行している」と評していた。
何かがおかしい。
グローバル化=海外にでていくことなのだろうか。
英語を社内の公用語にする日本の企業。
アメリカへの留学が減っている傾向を見てグローバル化に消極的だと嘆く日本の政治家。
国際バカロレアを採用する日本の学校。
何かがおかしい。
なぜみんな発想が受身なのだろうか。
これが本当に「日本」のグローバル化なのか。
どうして日本語を海外支社の公用語にする発想がない。
どうして優秀な人材が日本に留学したくなる学校を作る発想がない。
どうして国際バカロレアのプログラムに日本語を加えてもらう発想がない。
これらの例に限らず日本で「グローバル」という単語が出てくると必ず考え方が受身だ。
海外の考え方を理解して、海外の言語を学んで、海外の慣習にならって、海外の価値観に合わせて・・・。
かならず海外が主で日本が従なのだ
まるで自らすすんで隷属したがっているようだ。
しかも困ったことにこの受身の姿勢に誰も疑問を抱かない。
みな海外の言語、価値観、慣習に日本があわせるのが当たり前だと思っている。
海外が上で日本が下という関係をひたすら追認してるだけなのだ。
さかんにグローバルという単語が出てくる経済界を見回すとこの理由が分かる。
現在の日本の経済界のトップの多くは社会人として高度経済成長期を目の当たりにしてきた年代だ。
彼らにとって欧米の国々は目指すべき先進国だった。
とりわけアメリカは経済面だけでなく生活スタイルや文化にいたるまで目標の存在だった。
アメリカに追いつき追い越せが彼らのモチベーションだった。
こうして彼らの考え方の根底にアメリカがお手本で日本はそれを目指す存在という上下関係が定着してしまった。
要するに卑屈な感情だ。
考えの根底に卑屈が敷き詰められている彼らの口から出てくる「グローバル」が卑屈なものになるのは当然といえる。
問題なのは彼らの言葉が政治や社会に対して影響力をもってしまっていることなのだ。
彼らが口にする「グローバル」という名の卑屈が政治や社会に影響し日本人全体に浸透していく。
これが問題なのだ。
こんな「グローバル」を追求したところで日本人の卑屈な感情が強化されるだけで
本物のグローバリズムを獲得できるとは到底思えない。
日本人の特徴として海外の反応をすぐ気にするという気質がある。
長友が活躍すれば現地でどのように報じられているか気になり
マー君が好投をすれば現地メディアがどのように賞賛してるか気になる。
東日本大震災後の日本人の冷静な行動が海外で賞賛されると日本人であることを少し誇らしく感じたりもする。
このような例を挙げれば枚挙に暇がない。
みな海外から評価されないとそのことの価値の大きさが分からなくなっているのだ。
すでに日本人全体に卑屈な感情がしっかりと根付いてしまっている。
アメリカのアカデミー賞より日本のアカデミー賞を獲得することに誇りを感じる。
サッカーのワールドカップより世界柔道に熱狂する。
いつの日か日本人にそんな矜持が身に付くことを夢見ている。
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