それは東京方言内部の変容であって、東京方言を習得しなくなったことではないだろう。
方言でない言語などないのだから。別にかわいそうでもなんでもない。
昔の江戸なら、野菜を売りに来る近郊の農民と会話する機会があり聞き取れただろうが、
(落語や俗文学にそういう場面が出てくる)
いまは野菜はスーパーで買うものだし、その農家も壮年以下は東京方言の亜種を話して
いるわけだから当然。
東京はかわいそうなんてくだらない煽りかましてるひまがあったら、土着の方言を
堂々と外で話す度胸を身につけたらどうか。