岐阜市はセンスがない。油売りの道三と一宮市のマネ喫茶モーニングを関連付けて
街おこしは可能なのにそれをしない。

油を売ると言う語源は、無駄話をして仕事を怠けること。

岐阜市の人間は古来より怠け者で金津園に入り浸り仕事をする民族ではなかった。
油売りの道三がその代表である。
蛮族であった岐阜市地域はマムシを捕まえて生で食べるほど生活水準が低く学もなかった。
マムシの道三の謂れはそこから来ている。

これではいけないと、尾張織田信長により未開の僻地であった蛮族美濃を平定。
金津園に入り浸る岐阜住民を懲らしめ、一大売春地帯であった美濃岐阜をお茶屋(現喫茶店)に
業態を変更させた。文明を齎した尾張様には今も頭が上がらないという。
しかし、売春宿からお茶屋(喫茶店)に変更しても茶店に入り浸り仕事を怠ける習慣は変えることはなかった。
尾張様の偉徳は現代でも続き、尾張様を崇めるため金ピカ信長像を岐阜市民の手で建立。

そして尾張様が伝えた喫茶店文化をモーニング発祥の地として捏造するまでに至ったのである。