認識よりも変革の重要度が高いのは当然だ
引き寄せはもちろん変革に相当する
琴浦さんのような読心術はしょせん認識だ
認識を変革に昇華していくのは人間社会でよく取られている方法だ
特に対人管理、ひどい場合は対人操作、洗脳となっていく
たとえば自分には認識レベルである読心術しかなく、それの扱いにキャパが追いついていない人がいるとする。いわゆる精神に問題のある人や思春期の繊細な子供のことだ。
キャパが追いつかずに自分一人では対処できず、他人に影響を及ぼし始めるのが琴浦さんタイプだ。
これは「人の心が読める」とわざわざ人前で宣言して、相手の反応を伺うものだ。
「他人の考えていることが分かる」と言って、そう言われた人の反応から自分の読心術の精度を確認し、さらに相手が何か隠し事などをしているとそれを恥じて無意識に固くなるリアクションを引き出す態度を引き出すことで以後読心術がしやすくなる環境をつくろうとするわけだ。
他力本願で心の弱い人はそのようにして洗脳されたり対人操作されたりするのだが、そうでない人には効かない。
効かないとどうなるか?もちろん、その読心術者にとって何のご利益もなくなる。自分の手に負えない読心能力が依然自分を苦しめ続けるだけだ。
つまり、言い方を変えれば読心術の他人への宣言は、他人に補助を求めているのである。
読心術はもともと認識レベルの能力にすぎないので変革レベルには足りない。たとえ宣言によって他人を操作することに成功しても、自分と他人を変革できる範囲は極端に狭く、プロセスが無駄に遠回りであり、ほとんどネガティブでイビツな変革に終わるだろう。
それに対して引き寄せは変革レベルの能力であり、ダイレクトに願望実現へのプロセスが働くので無理が無い。