自分で魚をおろして肴にしている奴 33
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0127ぱくぱく名無しさん
2018/08/30(木) 18:23:48.86ID:9mpbmG/z直通定期便は無かったけれど、松前〜津軽〜南部〜仙台〜江戸でリレー式に物資のやりとりはあった。
仙台藩は定期的に水運で江戸へ米穀を送っていた。直接江戸まで入ってこず、常陸国・下総国で川船に積み替えてだから、これもリレー式か。
漁師文化は、摂津国ベースじゃないの? 佃郷、今で言うと、大阪市西淀川区〜尼崎市にかけてのあたりから、家康・家光の時代に数回に分けて
漁師・干拓農民を呼び寄せて、江戸湾での漁労・江戸市中での川船の使用と鮮魚の販売・墨田川河口域の干拓を許可して、治水に当たらせた。
東京都中央の海浜部の佃島、月島、築地は、佃郷から招聘された人達が整備した干拓地からきている。明治以降に大幅に埋め立て地は拡張されているが。
和歌山方面から関東に移入されたのは、醤油じゃないのか?
徳川家光が、上方産品の移入を抑え江戸近郊で生産させるために、手工業者を大規模に招聘している。
その中に醤油醸造業者も含まれていた。
醤油は量産効果がある、少量の生産では割に合わないという性質のものなので、この時の移入の効果で、今でも、関東と京阪神圏とで濃口醤油の嗜好の差が
殆ど無い。
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