267 です。

大将が「聴くこともまた創造的な行為です」と言った意味がわかった
気がしたのが '05 名古屋であり、'09 西宮であった。


>単独の曲を聴いただけは、それは起き得なくて、プログラム
>の後半で起きるようにプログラムされているように思う。

蛇足ながら、'05 名古屋での冒頭はソナタ第一番「青い花」であった。
名古屋の聴衆は本当に久し振りの大将の実演だった。
昔のイメージを予想していた人々を完全に裏切る「変貌した大将」の
姿がそこにあった。
「青い花」は転調めまぐるしい曲であるが、基本的にギターが不得手とする
フラット(♭)系の調性が中心の曲である。
第一楽章の流れるような曲想で、倍音が残りにくい調性ながら途切れることなく
流麗に弾ききる大将の演奏に、若い頃とは違った意味での「超絶技巧」を感じた。
まるでその場で曲が紡ぎ出されているかの印象すら受けた。
聴衆の集中は間違いなく、プログラム前半から始まっていた。
クライマックスが後半の「新世界」だったわけだ。
(しかし、直後のゴールトベルク変奏曲のアリアで、更なる「静寂」へと
導かれた。 その後は一転、アンコールの「ロックコンサート」であったのは、
西宮での同様である。熱狂が会場を支配した。)

大将は絶対に「生演奏」を聴くにかぎる。
もしかすると、あなたもいつか「奇跡」を経験できるかもしれないから。