名古屋('05『新世界』 & '06 w/バンビーニ)、東京('06『楽興の時』& '07 w/バンビーニ)、
福島(アランフェス)、西宮(火の鳥)と近年の大将を直接聴いてきた。

西宮と名古屋しらかわ('05)の差を一言で言うなら、
聴衆の集中力が、紙一重の差で名古屋での方が上回っていたように思う。
しかし、その紙一重が大きな違いを生み出していた。

これは誰かのブログの受け売りだが、演奏者の集中力に聴衆の集中力が
追い着いた時にのみ起こる「奇跡」とも言うべきものだった。
「新世界」2楽章の最後の ppp。物理的には音がますます減衰しているにもかかわらず、
耳の中ではますます大きくなって聞こえる現象である。
聴衆による集中力の追い着きという点では、西宮でも「聖母の御子」でかなり近いものを
感じた。しかし、紙一重の差で名古屋しらかわの時に及んでなかったように思う。
紙一重ではあるが、「もっと素晴らしかった」という記憶として残ってしまった。

実は後日、大将自身が '05 名古屋での聴衆を絶賛していたと聞いたことがある。
(しかし、翌 '06 名古屋はまったくダメであった。これは、前スレでも話題になっていた、
黒幕による日程変更の強要で、演奏者と企画者のモチベーションのダウンが聴衆にも
伝わっていたのかもと勝手に想像している。)