協和と不協和の揺らぎによって
聴衆に飽きさせない、その手法のひとつに
コード進行があって、内声の動きと
協和不協和をうまく合致させ機能を
果たさせる為にアボイドがあるわけで
そもそも進行感を無くすのが目的だった
民族回帰のモード音楽にアボイドが意味を
なさないのは当然であり、他方不協和は
徹底して複雑な不協和音程を用い、
協和は徹底して単純な協和音を用いることが
音楽自体の緊張感と緩和を生むこと、そして
現代の音楽はとっくにその両者が混在している
ことを考えれば、アボイドノートの存在意義とは
特定の古めかしい江戸時代にヨーロッパで
作られたスタイルやそれに近い音楽を作ることのみに
しか作用しない。