妄想と言う麻薬の様な手段で自分の脳をだましてしまうほど
深い傷を負った人間が、外科的な強制方法ではなく自分の力で
それを乗り越えていけるのかを描いたのでは

テディは現実に覚醒するところまでは何度かたどりつくのだけど
次の段階の、受け止めて乗り越えるところで挫折してきた
そして今回も灯台で覚醒はしたけれど、やはり現実と向き合いながら
生きることにはあまりにも過酷で耐えられない
しかしこれまでのように、妄想に逃げ込んで覆われてれば自分は幸せだけど
他人に危害を加え、さんざん迷惑をかける哀れでみじめで恐ろしいモンスターに
またなる事にも耐えられない
初めて過去の姿も未来の姿も全部クリアに見渡せた、それでロボトミーを選択した
最後の言葉は、先生たちは最後の望みのロープレ治療に失敗したんじゃないんだよ
自分の意思でけりをつけるんだよ相棒
という意味何だと思う

描きたかったことはそれで、またもうひとつ観客に向かって
「自分の目で見たものを判断するのは脳だよね
 鳥のヒナが最初に見た動くものを親と認識するように
 それが本当かどうかなんて、脳は実は判断できないんだよ
 インプットされたように判断するしミスリードにも簡単にひっかかる
 そして後付けで自分を納得させるように解釈をつける
 それをこの映画で体験してください」

と言ってるのではないだろうか