代表的な意見の二系統を俺なりにまとめるとこうなる。

@…
 映画をよい表現たらしめる絶対必然の要素はストーリーの整合性にある。
これが破綻していたのでは、仮にどれ程多くの観客を楽しませようとも
表現としては自動的に失敗作の烙印がおされる。
 また、ストーリーの定石を外した作品に感動できる人は一部の信者であり、
彼らの感動の正体は、価値の無い物に無理やり価値を見出す錯覚であり、
表現手法の真理を知らない無知が生み出す誤解である。
 表現の真理を知っている人が良い映画を観た場合、その人は必然的に感動へと
誘導されるはずであり、感動させられないとすればその原因は映画自体が
作品として駄目な失敗作だからである。

A…
 既存の表現手段の型というのは長年の蓄積から得た経験則なので
便利な手段である事は認めるが、絶対では無い。
それに囚われずに客を感動させる多様な表現手段の可能性もありうる。
 ある映画にある個人が感動を覚えるという事は、鍵と鍵穴が合致する
事に似ている。受け取り側の人生感、価値観、趣味などが一律ではない
のだから、万人にとって等しく感動を呼ぶ映画などがあろうはずも無く、
したがってどれ程多くの人達に高く賞賛された作品であっても、
高い評価を与えられないという一群が現れるのは避けられない。
 自分が特定の映画に感動できなかった原因を「自分の考えるよい映画像に
その映画が合致していない」事に求めるのはまだ自然だが、なぜか2CHの
アンチは、その基準が絶対普遍で万人にも通用すると思いがちである。しかし
視点を変えて言えば「彼らがその作品で感動する器量を持ち合わせていなかった」
と言う事もまた可能なのだ。