おかやま 川原で起きた悲劇

被差別部落の側にとっては、つもりにつもった屈辱をようやく晴らせるときがやってきたのだ。谷の被差別部落の人々の少なからずが、正々堂々とふるまい始めた。農民への卑屈な挨拶をやめたり、時には風呂屋で一緒に風呂に入ったりした。

だが、農民側はキレた。完全な逆ギレ、八つ当たりへと発展したのである。なんと谷のほぼ全域の農民が竹槍などを手に、
対等にふるまおうとする被差別部落の村々に殺到した。圧倒的な数である。
ほとんどの被差別部落の村では言いなりになるしかなかった。土下座を強いられ、証文を書かかせられ、
『エタでようござんす』と屈辱の誓いを強いられた。しかし、谷の被差別部落の村の中で、ただ一つだけ、屈服を拒み、抵抗を貫く覚悟を決めた村があった。

村人は、村を放棄して、裏山から脱出をはかった。中には県境を越えて、逃げた者もいたという。しかし、逃げ後れた人々も多数でた。
重平と、妻のろくは、幼い子供二人と物陰にひそんでいたが、逃げる途中に追っ手の農民に見つかった。
重平は頭を竹槍で突かれた。ほぼ即死となった。赤ん坊を背負ったろくは、左足を槍で突かれて、200m近い高さの崖から突き落とされた。
74歳の老婆さきは、4〜5人の追っ手の男に見つかり、竹槍で全身を突き刺された。そして生きたまま火をつけられ、絶叫。狂い踊りながら火だるまになった。