>>309
司忍が就職したのは大分県のマルハだったが、職場は下関の漁港で、安月給に怒って上司と大喧嘩をしてマルハを辞めた。
船乗りをしていた頃に出入りしていた賭博場で知り合ったヤクザのつてで、大阪、名古屋へと博徒として転々とした。

ちなみに、元関脇の貴闘力の父親は、神戸で山口組と抗争を繰り返していた武闘派ヤクザの忠成会の元幹部で、
昭和53年〜昭和57年まで防府市の車塚町に家族で越してきて支部で働いていた。
貴闘力の2つしたの弟、鎌刈敏明がオレと同級生で、家に遊びに行くと上半身刺青のオヤジが出てきた。

山口県の主要都市は政治家の力が強く、公共工事や工業地帯や漁港が多いため、昔はヤクザの重要な資金源になる土地だった。