>>566
戯れ言におつき合い。反論てわけじゃないけど。

> portrait(肖像画)に一番必要なのって撮る側の気持ちであって
> 何を使ったか(機材や方法)は関係無い気がするんです。

「撮る側の気持ち」とは、「撮る側の、被写体に対する気持ち」なんでは。
機材や方法が二次的要素なのはその通りだと思う。
だからこそ、何を撮るかが一番重要な問題なのではないかとも思う。

というわけで、本当に人物が撮りたいのなら、無理をしてでも人物を撮るべきで、
人形を相手に練習するのはやっぱり違うのかなあなんて、>>566を見て思ったよ。
比べるのはいけないことなのかもしれないけど、
おれは1さんの写真よりも>>553さんの写真の方が良かったし、生命を感じた。
それは>>553さんの人形に対する気持ちが写真に表れているからなのかもしれない。
対して1さんの写真がどうしても人形を写しただけの物撮りにしか見えないのは、
1さんが人形をただの代用品としか思っていないからなんじゃないだろうか。
だとすると、そんな撮影をいくら繰り返しても、人物撮りの練習にはならないのでは。
だって1さんが言うところの一番大切な「撮る側の気持ち」がそこにないのだから。

ということで、新しいレンズを買うお金があったら、そのぶん
より多くの撮影会へ参加費するなり、
お気に入りのモデルに思い切って個人撮影の交渉をするなり、
人物を撮る為の費用に充てた方が良いと思う。