原発131
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0849810の原則論者
2012/05/08(火) 15:45:25.72自動車についてはそのように判断する方法があります。
たとえば、老人になって免許証を返却することも自己判断できます。
しかし、大量の汚染ごみを延々と処理しなければならない未来人には判断の機会がありません。
未来人から見れば、すでに危険極まりないゴミが山積しているわけで、放り出すわけにはいかないからです。
というのが私の論旨です。
840さんとの違いは時間の長さだと思います。いま、自動車が持つ弊害をどうするかは現代人の現代的課題です。
自動車は決して未来人を轢き殺すことはありませんから未来人の判断は必要ありません。
しかし、原発の放射能ごみは確実に末代まで続きます。
830で私はこの本質的な違いを、子供の貯金に手を付けるような、他人の金を使うような、と揶揄してしまいました。
今現在、国は最終処分施設について300年の管理と言っていたと思います。
まがい物のこの数字(おそらくセシウムの毒性がほぼ失われる期間)を仮に採用しても、
300年にわたり、何ら判断機会を与えられなかった人間がその資金と労力を提供し続けなければならないことになります。
わずか半世紀前の戦争の賠償金を求められても怒りだす人は大勢います。
数世紀(本当は数十世紀)以前に使ったエネルギーの処分費を押し付けるこの現状は正気の沙汰とは思えません。
それは、子供の貯金に手を出すこと、他人の金を勝手に使うことと何ら変わりはありません。
選択することのできない未来人にそのリスクを押し付ける現代人はあまりに傲慢不遜と言わざるを得ません。
たしかに、原発に保険とは妙案だと思いますが、事故被害処理だけでも、数兆円に及ぶだろう保険料には現実感がありません。
しかも、その適用も現代人にのみ限られるでしょう。プルトニウムの毒性がなくなる数十万年後の子孫まで保証するわけにはいきません。
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