どうも「イスラム教」反対勢力、というものが押さえがたい理由について。

聖書や仏典にも指摘あるように、
コーランや、コーランの解釈にも「ねつ造」された経緯があるかと?

唯一神信仰である点とか、心理学的に「戦争を煽る要素」が多々あり、
「世論に、戦争を容認させる為に、作為的に造られた宗教形態」という話。

何より歴史的に、イスラム地域は戦争の連続で、たとえば「猿からの進化論」や「反物質説」のように、
学問・研究を阻害する為の金融情報という利用もされたと。

また、信者が「開祖」を否定している事例は、特にイスラム教にあからさまではないかと。
つまり、ある意味「赤道直下の熱帯文化らしい」と言えば、それまでだが、
じゃあ次は「ピラミッド」のように、数学の可能性を突き詰める方法しか残されていないと。

それは「弾道学」とはまったく逆の意味であるので、
「ねぇ?戦争しようよ」とか世論に同性愛な色気をにじませる開祖や教祖について、否定する事態になり得ると。

要するに、キリスト教や道教のように「芸術的表現」に移行するのが、常識的な抵抗である訳だが、
流動的な移民の影響からか、調和と加速度についての理解が遅れると。