最初の地震の発生で全ての原子炉は想定どおり停止し、その後非常用電源が起動し、原子炉の冷却機能が働いた。
 しかし、その後に襲ってきた津波により、原発施設内の多くの設備が流され、建屋内への海水の流入によって非常用電源が停止してしまい、冷却機能を失い、その後の1号機の爆発、3号機の爆発、2号機のSC破壊、4号機の爆発と続く。 
 このとき、もし東電側に大きな過失があって一連の事象が発生したものなら、当然責任を問われるべきだが、実際はどうにもならない状況をぎりぎり切り抜けたと言うのが事実だろう。
 
 地震発生後、関連会社の従業員、外注作業員などは、さっさと避難し、結局現場で作業に対応できる人間は東電社員の400人だけだったことをどれだけの人が知っているのだろう。
 このとき現場にいた原子力安全・保安院の人間5名もさっさと避難したそうだ。

 国はJCOの事故後、原発事故の緊急性に鑑み、全国の原発事業所ごとにオフサイトセンターを整備し、万が一の場合の現地対策本部とすることにした。
 福島県も国の方針に従って、OFTを基点にした原子力防災計画を立てている。
 しかし、実際に今回の事故ではほとんど有効に機能しなかった。
 1基の原発の事故でさえ収束には多大な労力を要するのに3基全てが危険な状態になった。
 多くの人は第一だけがこんな状態だと、思っているだろうが、第二も危険な状態だった。
 しかし、第二では設備の水没があったが、自衛隊の協力もあり、地震から3日目に何とか冷温停止にできた。
 東電とすれば第一、第二の2つのサイトで合計7基の原発に危機が迫り、東電本社の対策本部で重要な決断をする必要があった。