福島第一原発 報道陣に公開 4号機建屋前「800マイクロ・シーベルト」 2011年11月12日

東京電力福島第一原子力発電所の事故後、初めて報道陣に公開された原発敷地内は、
8か月が経過した今も生々しい爪痕をさらけだしていた。
全面マスクと防護服の完全防備で、変貌した姿の原発に近づくと緊張感が体を覆った。

正門では完全防護姿の職員数人が出入りの車両のチェックに目を光らせる。
バスに同乗する放射線管理要員が「現在、毎時20マイクロ・シーベルト」と刻々と放射線量をアナウンス。
緊張が高まっていく。

事故のすごさを目の当たりにしたのは、撮影のため設定された海抜34メートルの高台。
手前に高さ45メートルの4号機が鉄骨の骨組みをわずかに残し、大きく崩落した姿を現した。
見えるはずのない、圧力容器から燃料を取り出す緑色の大型クレーンがはっきり見えた。
その奥の3号機はさらにひどく、ひしゃげた鉄骨がむきだしになっていた。

「毎時40マイクロ・シーベルト」の声が飛んだ。
原子炉建屋とほぼ同じ高さの海抜10メートルの海岸線エリアにバスが到着。
タービン建屋がある海側は、津波で全面が水没。
爆発時のがれきの処理は、陸側に比べて進んでいない。

その時、線量計が急に跳ね上がった。
4号機タービン建屋前「800マイクロ・シーベルト」、
3号機タービン建屋前「1ミリ・シーベルト!」。

東電職員は「水素爆発で飛び散った放射能を帯びたがれきが散らばり、
破れた建屋から放射線が出ているため」と解説する。
報道陣の被曝量を抑えるため、バスは人が走るくらいのスピードに上げた。