放射能溶融と日本の文化

 私は3年間これらの委員会のメンバーとして参加した会議で、こうした問題はあまり注目されていな
かった。その代わりに、大部の現状報告書が原子力エネルギーの必要性(これには私も賛成だが)を
繰り返し強調する一方、安全については煮え切らない保証をしていた。日本で盛んな反核運動に
反撃するための、ピカピカのパンフや用意周到な公聴会が主な目的のようだった。危険や不備を指摘
する職員の内部告発― われわれは英語でホイッスル・ブローアー(警笛鳴らし)と呼んでいる― に
報奨金を出してはどうかという私の提案は、あっさり却下。それは“会社に忠誠という日本の文化に
反するものだ”、という一言で片付けられた。同じグループ主義文化の他のよく知られた面― カバー
アップや自己満足に陥る傾向― を指摘しても歓迎されない雰囲気だった。
 原子炉施設のスポット・チェック許可もふくめて、反核運動と真剣に対話すれば、ピカピカのパンフ類
よりも人々を説得し教育する力があるという私の提案も空回りするだけだった。日本にとって何がよい
かは、原子力エネルギー専門家がいちばんよく知っているのだから、その他の一般人はそれを受け
入れればよい、以上終わり、という父権主義的前提があった。

 国民的頑張る(懸命にやる)精神が、外国人からの諸々の警告を含めて、すべてを克服すると彼らは
考えているらしい。あるいは神風のようなものが吹いてもう一度日本を救うと。テレビ局は相変わらず
安いギャグのショーと食べ物番組を続けている。太平洋戦争末期の日本の運命的楽観主義との
類似点を見つけるのは、難しくない。
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むかし、TBS『ブロードキャスター』で、危機管理に関する何かの問題で、ジョージ・フィールズが
こういう事を言っていた。彼の隣にグレゴリー・クラークが住んでいるんだが、クラークが言うには、
「日本人には危機管理はできない。日本人には危機感がないからだ」。