祝島の反対運動は、豊北斗争の指導路線などと比べるならきわめて異質であるという問題があった。
祝島の内部では村八分的な人道にもとる独裁支配をやり、外にたいしては祝島だけの利害、しかも経済利害だけを主張し、四代や八島、長島、室津など全町的な共通利益で団結するというのでなく、全町民は「推進で敵」とみなすような分裂主義の指導路線をつづけてきた。
原発問題のはじめ、全町で強かった反対の声は、非人道的な祝島の反対運動に同調できないということが一つの大きな要因になって、沈滞していった経過がある。
山戸氏は、島根の学生で棒を振り回して挫折し、将来を悲観した生活をしていたところ、ふるさとの原発問題に助けられ、中電の労働組合に推せんされて島の指導者に祭りあげられた人物。
いまでは就職にあぶれた評判の悪い息子を島にもどらせて養う身である。