原発問題のはじめから見ると、「反対派」として代表的なのは祝島で、金田敏夫氏が愛郷一心会の親分となった。
この反対運動というものが大問題で反対といわなければ村八分だし、デモをかけて石を投げたり、戸を蹴破るとか、推進派と話をしたといえばつるしあげる、親兄弟や親戚の葬式にもいかさないとか、無茶苦茶だった。
その様子を見た全町が、「この反対はなんだ」ということになり、原発には反対だがあれたちと一緒にはやれないとさせるものだった。