日本のエネルギー国策転換で浜岡原発から脱原発
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0211kirii
NGNG核施設推進派は、いざ本当に大問題が起こった時、
「ぐあー」(沈黙・苦痛)と思うんだろうな。と。
反対派は、いつまでも問題が起こらない限り、
推進派から「ほーらみたことか」「大丈夫だろ?」と言われ続け、憤懣やるかたないんだなろうなと。
……と考えると、
推進派は、問題が起こらない限り、
「ほーれほれ」と喜んでいられ、自己満足できる。
でも、いざ大事故になったら、沈黙するしかないんだろうな。
反対派は、問題が起こった時には、「そらみろ」と思い自己満足する以上に、
自分が被害を受けることを知っているから、
「もっと行動すればよかった」と後悔するんだろうな。
推進派と反対派というふうに図式化しましたが、
結局は、そういうことになるんでしょう。
つまり、反対派はいつか必ず良識ある人とみなされると、ということですかね。
核施設推進賛成の人達って、そういう可能性を考えてないのかな。
原発、核問題のことを、そんなにしっかりわかってるのかな(学術的にはわかってる、なんての、問題外だし。それは、教科書の話)。
そして核施設で大事故が起きた時には、
ほかと「別種」の被害が起こる事を、しっかり「想像」できているのかな。
火力発電所が事故った、っていうようなのとは、まるで別種の被害が起こるのは、自明のこと。
低線量被曝(だったかな?)ってのが国際的に問題になっていること、知っているのかな。
即死、よりほかに、この先、何十年、何百年、と続く被害をもたらすのは、核施設しかないでしょ。
とにかく、それだけでも「予想」して置いて欲しい。
劣化ウラン弾やその他の現実にある被害を見るにつけ、そう思う次第です。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています