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歴史通:2016年3月号
総力特集
それでも蒸し返される「慰安婦問題」
■中西輝政
政治に譲った歴史認識A
気がかりな安倍政権の「胆力」
ttp://web-wac.co.jp/magazine/rekishi/2016%E5%B9%B43%E6%9C%88%E5%8F%B7

 昨年末の「日韓慰安婦合意」のニュースを聞いた時、三つの思いが次々と浮かんできた。まず、第一に、その内容が
これまでの大方の予想を裏切り、日本側の歴史認識にかかわる原則的立場を放棄したものだったことがわかった時、
思わず私の口をついて出たのは、
「やっぱりそうだったか。思っていた通りだ!」
 という言葉だった。実は、こうなることは昨年夏の「70年談話」以来、私には十分に予見できたことであった。それには、
あとで詳しく述べるように確かな根拠があったからである。
     ・・・(略)・・・
アメリカの圧力と口にする向きもあるが、これは、アメリカのいつもの「場当たり外交」の犠牲にしてよい問題ではない。
そもそも福澤諭吉の時代から、「変転やむことのない」とされた朝鮮半島の一時的な外交ゲームに国家の基本問題を譲り
渡してよいのか。韓国はいずれまたすぐ、中国にすり寄るに決まっているではないか。
     ・・・(略)・・・
 しかし、ここで、あらに少々視野を広げてみると、今やこうしたことが安倍政権では一つの流れとなっていることが
見えてくる。
     ・・・(略)・・・
 安倍政権が「歴史問題となると、必ずこうなる」というのは、具体的には次のようなことだ。つまり歴史問題をめぐっては、
安倍首相はつねに、最初は威勢のよい、確固として日本の原則を守るという姿勢を示しているのだが、最後はいわゆる
‟ベタ降り”の結果に終わるのがパターン化している、ということである。
     ・・・(略)・・・
《続く》