Voice 2015年12月号
外務省に奪われた安倍外交 中西輝政
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     (前略)
これから記すのは、いわゆる安倍談話に関し、巷間、「中西輝政は安倍首相のブレーンとして、談話の基礎になった
有識者懇談会の報告書の作成や談話に関わり、主として中西の助言でそれらはつくられた」という、事実とは正反対
の虚説がまかり通っているからである。
 懇談会報告書はいうまでもなく、安倍談話そのものの歴史観に対しても、私は明確に反対の立場を貫くものである。
     (中略)
もはや敵国の占領下にあるわけでもなければ、少なくともこれまでは武力で脅かされたわけでもなかったのに、
なぜ70年もたってから、日本の首相はこのようなことを口にしてしまったのか。悔やまれてならない。
     (中略)
 いずれにせよ、この点は左右のイデオロギーの違いや、思想の次元の話ではなく、あくまで言語的な解釈として、
謝罪をめぐるこの箇所はどう読んでも「逆」、つまり「日本は謝り続ける」という意味にしか受け取れない。それは、
先述した安倍談話の英訳を読めばいっそう明らかである。英文の特徴であるシンプルさによって今回、安倍談話が
日本語版の「匠の技巧」とも称された微妙なニュアンスや言い回しの曖昧さが剥ぎ取られてしまい、世界に対して
「何を伝えたか」が残酷なまでに明らかになっている。
 そう、安倍談話は日本国内の評価とは反対に、世界に対して「将来世代にわたり日本は謝罪を繰り返す」意思の
表明として伝わっているのである。
     (中略)
 率直にいって、この内容であればある意味、「村山談話のほうがある面でましであった」とさえいっても過言ではない。
なぜならば、村山談話は「歴史の解釈」という領域にまで踏み込んでいないからだ。たしかに村山談話は安倍談話と同じ
く閣議決定されたものだが、その内容は当時の首相である村山富市氏が、ひたすら自らの主観を述べたものにすぎない。
 ・・・(略)・・・しかし、それだけにまた、これを「国家としての歴史解釈」としてはとうてい見做すことはできず、一片の
政治的な文書として、いかようにも解釈可能な曖昧さが残っている。
《続く》