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名機 零戦

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0001名無しさんNGNG
うちのじいさんは昔 日本海軍のパイロットとして零戦に登場してた
らしく 零戦は名機だったと話してくれますが 私はわかりません。
零戦はそんなにすごかったのでしょうか?
また、そんな名機を保持していた日本が なぜ戦争に敗けたのでしょうか?
00021>NGNG
搭乗員の救出を軽視してた。
不時着後助かるはずの熟練パイロットの命が、
救助態勢の不備から
多くが無駄に失われた。
0003対一番NGNG
優秀兵器 戦場於変化与可  然 戦争其自体変化与不可
00043>NGNG
中国の方ですか?

ニハオ!
0005名無しさんNGNG
世界水準の戦闘機を一機種開発出来ただけで世界大戦に勝てる程、あの戦争は
甘くはないのです。
あの時代の航空機の進歩は日進月歩ですが、零戦を生んだ日本には諸外国の
その進歩についていけるだけの国力を持たなかったのです。

確かに零戦は登場時こそ「神秘的」と称されるほど、日本機を過小評価して
いた連合軍側を驚かせるだけの性能を持ったいましたが、ただ非力なエンジン
を極端な軽量化で補った機体は性能向上の余地が少なく、また日本の国力では
零戦のさらなる能力向上やその後継機の出現も果たせずに、太平洋戦争がはじ
まって緒戦こそは性能的な優位に立てましたが(昭和17年中期ごろまで)、
連合軍側が緒戦のショック状態から立ち直って組織的な反撃をする頃になると、
それまでの無敵神話(これもかなり怪しいのですが)は影を潜め、最初は量で
最後には量と質の両方で零戦は連合軍の戦闘機に圧倒されて日本の敗北と共に
姿を消しました。

太平洋戦争を始められたのは零戦があったから・・・とも言われますが、戦争
を勝利で終わらせる程の力は日本の国力と共にあの戦闘機にもありませんでした。
0006三番NGNG
否 我正真正銘日本人
0007宇屁輔NGNG
対四番

 再掲

汝 不知也 日本漢字党

http://www.merimero.com/kanji/
0008名無しさんNGNG
零戦の欠点
*武装が貧弱
 20mmは初速が遅く携行弾数が少なく、副武装の7.7mmは威力不足。
 登場時点で並み、太平洋戦争がはじまった時点では並み以下。
*防弾無し
 要求仕様になかったのと非力なエンジンのせいで実施する余裕なし。
*横転性能が悪い
 旋回性能を重視して大面積の補助翼を採用した事、主翼の剛性不足
 により零戦の最大速度付近では事実上、横転操作が不可能。
 (従って零戦の優れた格闘戦能力は低中速域のみ)
*急降下性能が悪い
 連合軍機の後ろについてもダイブで逃げられると零戦は追尾できない。
 逆に零戦がダイブで不利な状況を脱しようとしてもそれが出来ない。
*無線機が使えない(これは零戦だけではない)
 無線は積んでいただノイズばかりで役に立たず、重量軽減の為に降ろして
 アンテナをノコギリで切った逸話があり。
 単機格闘戦から編隊戦闘に移行した第二次大戦で空中無線電話の果たす
 役割は大きい、これに日本の場合は逆行している。

上記の欠点を補うべく改造型も作られたらが、エンジンの出力増加が伴わず
改造する毎に重くなるばかりで、初期の素晴らしい格闘性能は後期型になる
程失われた。
最後には「零戦もこんなになったか」と生き残りの熟練搭乗員に嘆かれる事
になる。
0009名無しさんNGNG
隼も名機だよ!
零戦と隼どっちが強いんだろう?
0010>9NGNG
自由に戦わせれば「零戦」
ただし水平面での巴戦だけに限れば「隼」
0011名無しさんNGNG
パイロットの消耗がはげしく、
パイロットの補給ができなかった。
0012名無しさんNGNG
コウケイキカイハツガ デキナカッタノハ
リクグント カイグンガ イガミアッテ
イミモナク タクサンノ コウクウキヲ シサクサセタタメダ
ワシラハ ワルクナイ
0013名無しさんNGNG
太平洋戦争初期の零戦パイロット達の技量は
世界最高峰だった。
それを大切にしなかった海軍上層部は愚か。
大戦後期に特攻に出されたベテランパイロットも多い。
0014名無しさんNGNG
13>硫黄島での坂井少尉や武藤少尉(空の宮本武蔵といわれた)
はアメリカ機動部隊に対する攻撃(生還を期しない)に出撃したが生還している。
(技量が低かったら生還は不可能な状況だつた。)
0015名無しさんNGNG
零戦(レイセンと読むこと!)は決して名機ではありません。
出現時の敵が中国空軍(弱い)だったため、その性能差が際だっただけです。
そしてその流れ同様に米陸軍航空隊との戦いも・・・
海軍のF4Fで同じくらいの性能に追いつかれそうになってF6Fで突き放
されました。

前にも皆さん指摘しているとおりの弱点の他に、軍の格闘戦重視思考が足を
引っ張っています。

高速を利して遠距離から13mm機銃を束にして(6−8丁)弾を撃ち込んで
くる米英軍に対し、我が国は格闘戦で相手の後ろについて20mm機銃を名人
芸的に打ち込んで戦おうとした。

これでは勝負になりません。

我が国は小回りの利き、小型のエンジンで、防弾、通信等の安全装備を犠牲にした。
米英軍は高速安定性、大型のエンジン(我が国の倍)、搭乗員保護生還性の確保。

この差に加え定期的な休養を与える乗員管理、救難体制の充実などが大きな差とな
っています。

ちなみに我が国とアメリカの乗用車の設計思想に似たところがあるような気がしま
す。
最近はそうでもないけど<安全装備。
0016名無しさんNGNG
零戦の欠点と言われるモノはすべて「ないものねだり」です。

大馬力エンジンもないのに高速高搭載量重防御はのぞめません。
陸攻を守るのには随伴する戦闘機が必要で攻撃機に比べれば戦闘機の「防御」についての要求度は下がります。
高空性能が悪いのは栄を作った中島のせいですがオクタン価の低い燃料では圧縮比もブーストも上げられません。与圧室技術もなかったし重いです。

零戦のポイントは「1000馬力エンジンを搭載して極限までの運動生、航続距離、速度(F-4Fより速い)、搭載量(20mmx2@`7.7mmx2は立派)」という点です。2000馬力級の欧米機と比較するのは酷です
0017名無しさんNGNG
非力なエンジンとそれをおいそれと向上出来ない日本の国力では「零戦」は
当時の日本が得られる最良の戦闘機でした。
ただ、だからといって「それを世界」の戦闘機と比較すると、最良の戦闘機
であったかは別問題です。

零戦は日本が生んだ名機ですが、同時に日本の限界を示した機体でもあります。

0018名無しさんNGNG
せめてエンジンを金星で作ってくれてたらな。
0019名無しさんNGNG
零戦54型は570km・h、6000mまで6min30secで零戦のシリーズでは最強だった。

でも零戦21>32>22>52の流れの中では、用兵や設計者の頭の切り替えが遅れたので間に合わないだろう。

昭和17年では航続距離の要求が高かったし、改造するにしても栄30系が有力候補だった。

局地戦闘機には雷電が開発中で零戦の改造では中途半端だと思われていた。

金星60系という1500馬力級の出現は18-19年だし、堀越チームは多忙でそれどころじゃなかったのでは?
0020名無しさんNGNG
>堀越チームは多忙でそれどころじゃなかったのでは?
これが全てでしょう。実際金星装備の打診は金星出現後
すぐにあって堀越技師も賛成だったんだけれど断わったそうだ。
三菱は戦闘機設計グループが堀越チームしかなかったので
零戦改造、雷電開発、17試艦戦開発で全く余裕がなかったらしい。
これが中島だったら設計をする余裕があったんだろうね。
0021ゼロ戦が正解NGNG
れいせん,というのがメジャーになるのは戦後です。
海軍は英語禁止なんて陸軍みたいなバカなことはしなかった
から。
0022名無しさんNGNG
堀越チームに雷電(局地戦闘機)を作らせたのは間違いだった。
後続の艦上戦闘機を設計させるべきだった。

0023>15NGNG
>零戦(レイセンと読むこと!)
海軍の整備兵だった人の話では当時は「ゼロセン」と呼んでいたそうです。

>海軍のF4Fで同じくらいの性能に追いつかれそうになってF6Fで突き放
されました。
熟練搭乗員の中には「1対1なら相手がF6Fでも負けん」と豪語した人もいました。
0024>13NGNG
熟練パイロットを各地から集め、紫電改に搭乗させた343空
剣部隊があり、実行例はあるよ。
まぁ、遅すぎたけどね。
0025名無しさんNGNG
堀越さんが、社内での基礎設計段階で「12試作戦闘機に瑞☆2型を選ぶ」と言いに来たとき、飛行機製作工場の深谷?部長が「金星にしろ!」と言えば良かった。
というのは無理?
0026名無しさんNGNG
32型がもうちょっと評判が良ければ、なんて思うけど、海軍として
は昭和19年まで遠距離アウトレンジにこだわっていたので、結局は
だめだっただろうな。

>25
そのころの金星ってそんなに信頼できたんでしたっけ?
0027名無しさんNGNG
>26
金星は、寸法がでかすぎて単座戦闘機向きではなかったの

だで、雷電はズン胴で発動機が操縦席の後ろにあるという
配置になったのだがね
0028> 27NGNG
雷電の猿人は前では?
# 後ろはベルのなんとかコブラとか、日本の試作戦のでわ?
0029名無しさんNGNG
>27
金星は直径1218mmで単座戦闘機用としては手頃です。
(戦前はともかく、戦時中ならむしろ小さい部類です)

雷電は十七試局地戦闘機「閃電」の勘違いでしょう。

0030名無しさんNGNG
栄が31型で打ち止めになったのに対し、金星が60型まで進化したことと、
Bf109等の同時期に出現した戦闘機の搭載エンジンの出力推移を
考えると、やはり金星を選ぶべきだったのだろう。
A6Mはぱっと見た感じ量産向きでないような点も気になる。
円錐状の尾部、これでもかっちゅうくらいある軽め穴等。
軍部に量産コスト(主に人件費)という意識がどれほどあったのかも疑問。
それらを差し引いても、一時期とは言え最も優れた戦闘機の一つで
あったのは間違いないと思う。
0031>28NGNG
「雷電」は火星エンジンです。
火星は基本的に大型機用のエンジンで一式陸攻や二式大艇に
使われていました。
0032名無しさんNGNG
雷電はエンジン直径だでかすぎて、空力的に正面面積を減らすために
延長軸を採用。延長軸の振動問題でかなりてこずった。
0033名無しさんNGNG
>火星は直系が1340mmで比較的大きいけど、FW190に積んだBMW801だって1316mmはあったんだから、そんなに太いからダメということはないよ。

金星40型は12試作艦上戦闘機のころ1000馬力600kg、瑞星は850馬力530kgで直径は前者が1218mmで後者は1080mmぐらいじゃないかな?
発展性から言えば金星の勝ち。
0034>23NGNG
>>海軍のF4Fで同じくらいの性能に追いつかれそうになってF6Fで突き放
> されました。
> 熟練搭乗員の中には「1対1なら相手がF6Fでも負けん」と豪語した人もいました。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^

そう言った「名人芸」気質に頼る当たりが日本の弱点です。
陸軍も手動式の三八式歩兵銃を「米軍の自動小銃に比べ連射性能が落ちるが、訓練の行き届
いた兵ならそれ程の差はない」なんて言って使っていました。

東郷さんの言った「一発必中の砲一門は100発1中の砲に勝る」と言うのと同じ思想です。
たとえ多少命中率、破壊力が落ちても新人を含め、誰もが簡単に扱って結果が得られる武器、
これが理想です。

そう言った意味では22型以降の零戦は、米軍F6F等に劣っていたと言わざるを得ないで
しょう。

延伸性の高い13mm機銃が付いていれば、少量の大口径弾を遠距離(無効弾)からばらま
いてしまう愚は犯さなかった可能性があります。

しかし、日本は貧乏国だったのでそう言った発想はあっても実現は困難だったでしょう。
陸軍の100式短機関銃が最後まで実用的に行き渡らなかったのと同じです。

それにしても思うのは我が国の設計者は、国が追いつめられても細かなところまで気を
遣っていますね。

零戦他の翼端の仕上げの円滑さ等に見られます。
大雑把なのは「剣」とか電信柱で作れる「タ号(?)」位ですか。
高々度戦闘機キ83でしたっけ?
気密室の気密漏れに気を遣いすぎて実用化できなかった物は?
米軍などは「漏れる物は仕方ないので、それ以上に気圧を上げてやればよい」的な発想で
処理しています。
我が国の能力では容量の大きな圧縮機が無かったのでしょうが、この辺りは戦後の我が国
製品の出来の良さの元になるのではないでしょうか?
戦時でなければこういったきめ細かな配慮は大事ですね。

最後になりますが「キ96」、これはぜひ早期実用化して欲しかった機体です。
単座の双発戦闘機、高々度性能、上昇力等1945年に存在したら重宝だった
と思います。
0035名無しさんNGNG
モスキートぐらいの高速なら出番はあってもキ96では580km/hrだし
あんまし役に立たんような気がする。P-51がきたらおしまい
0036名無しさんNGNG
雷電の振動問題って、誰かが「こんなん延長軸があかんねん!
先っぽぶったぎって火星15にしときゃええ!ブリュースターヴァッファローの日本版にしちまえ!
強制冷却ファンもなしだって空気取り入れ口がでかけりゃいいんだ!」

と蛮勇をふるってくれるひとはいなかったのでしょうか?
0037名無しさんNGNG
(続き)
実際のところ雷電のカウリングと延長軸のおかげでどれだけ抵抗減少になったあ疑問なんだよな
0038名無しさんNGNG
>36@`37
あれは空技廠の空力研究による「紡錘形理論」を採用した為で、胴体全体
の形状を紡錘形にする事に意味があったのです。
延長軸と絞ったカウリングの採用はその為です。
ぶったぎったら、らぶん紫電のレザーバック版の様なイメージになったでしょう。

それと機首を絞っても正面面積自体は減りませんし、肝心の紡錘形理論はプロペラ
後流の圧縮性を考慮すると意味がないそうです。
(雷電は機首にプロペラが無ければ抵抗減少に最適な形状だそうですから)
むしろFw190は鍾馗の様に細く絞った方が良いそうです。
0039名無しさんNGNG
中島の彩雲なんかは、胴体前面断面積最小を徹底して日本最大速度をほこりましたね。

でも雷電の場合は高速での空気の圧縮性が大袈裟に考えられていたし

火星を積んだらやはりなにか特別な形状抵抗削減方法を言い出さないといけない雰囲気があったのでは?
0040名無しさんNGNG
そういえば、日本の偵察機って速いですね。陸軍の百式司令部偵察機なんて3型で630qですよ。高空性能も良かったし。
0041>40NGNG
たしか、敵戦闘機に追いかけられて、振り切って逃げおおせたのって、
この偵察機じゃありませんでしたっけ?
0042百式指定NGNG
彩雲は戦闘機ふりきって「我に追いつくグラマン無し」の電文で有名ですし、百式司偵も開戦前に2型がマレー半島を偵察したときは迎撃できず「マレーの通り魔」なんて言われていたそうです。
0043>42NGNG
二式艦偵も忘れないで
0044>43NGNG
ごめんなさい。
子どものころ、
タミヤの1/700ウォーターラインシリーズを作っているとき、
大和とか武蔵のお尻にちょこっと乗ってる、あれ?
としか記憶していませんでした。
(零戦なら、赤城の甲板にずらっと並べて喜んでいたんで
しっかりと記憶にあるんですけど(^_^;)\
0045名無しさんNGNG
>42
あれはまだ機体の品質が良かった初期の頃に出来た神話です。
(それに相手がまだ甘かったので)
末期には日本機全体の性能低下で彩雲や百式司偵でも敵地への強行偵察
は命がけでした^^;
(P-51やP-47やスピットの高性能型がいるとタダじゃすみませんもん)
0046改大和級NGNG
大和や武蔵に乗っている飛行機は複葉機が零式観測機、そうじゃないのが零式水上偵察機だと思います。ちなみに、観測機の方は、なんとF4Fを結構打ち落としているんです!!
0047名無しさんNGNG
>46

ゼロ観はF-4FやB-24を撃墜した記録もあります
004843NGNG
二式艦偵は、彗星の試作機をミッドウェー作戦に持ち込んだときの
名前です。
蒼竜か飛龍とともに沈んでしまったといわれています。
0049名無しさんNGNG
実際には二式艦偵とは呼ばずに彗星偵察機と呼んだようですね。
Ki96は44年の夏までに福生や柏にある程度の機数を配備しときたかった。
そうすれば、もう少しましな防空戦ができたのではないか。。。
0050名無しさんNGNG
天雷なんか、誉の不調とナセルストールのせいで機体は何機も完成したのに
低性能で採用されてないの。
0051名無しさんNGNG
浜松基地の航空博物館(って名前でしたっけ?)
にて零戦の展示が3月より実施されます。
3月は地上展示で4月からは格納庫タイプの展示館
の天井から吊るされ飛行形態での展示です。
舐めまわす様にご覧になりたい方は3月中ですね。
勿論、アッシも高速使って行きまっせ!
あっ、インターチェンジは浜松西です。帰りには滑走路
上のE3を見てから帰りましょう!
0052名無しさんNGNG
南紀白浜にある「零戦」は、屋外に野ざらしで展示されてるので
操縦席の計器類とかあちこちのパーツが盗まれてしまって
ボロボロになってる。見てると泣きたくなってくるよ。
0053>51NGNG
そのE3、浜名湖上空を旋回しているところを見たことある。
大きさにおどろきを感じました。(零戦からハズシテすまん)
0054>51&53NGNG
>E3
こやつの正式名称ってこれでよかったっけ?
0055名無しさんNGNG
51でっす。
自分は「E3 セントリー」と認識しておったのですが
EC3とかになっているのでしょうか?認識不足が
確認もせずカキコしてすみません。
0056>55NGNG
「E3C セントリー」では? 
0057名無しさんNGNG
上野の科学技術館にある零戦は複座型で、なんか雰囲気でない。
0058名無しさんNGNG
>57
あれは今は上野の博物館の改装工事で撤去されて筑波にあります。
でもって、あれは超貴重品です。
(なんせ世界でもただ一機のラバウル製カスタム零戦)
このままなし崩し的に破棄したらタダじゃおかない・・・
0059名無しさんNGNG
>51さん
俺も見に行こうと3月3日に浜松広報館へ電話確認したら
零戦は既に吊り下げ展示になっているそうです。
浜松の零戦は倉庫で非公開という、ある情報を信じていたため
ガセネタかと思って現地確認してしまった。
申し訳ない。
0060名無しさんNGNG
実際に飛行しているゼロ戦を見たい物ですね
0061名無しさんNGNG
>60
アメリカにあるよ<零戦52型
栄発動機装備ですが、前に日本に来たとき(2回来た)は尾部と、プロペラスピナの形が違っていました。
0062!WU?NGNG
>60
金に糸目をつけなければロシアで再生産と言う荒業も可能です。
エンジンはもちろん違いますけど。
0063名無しさんNGNG
って言うか日本国内に飛行可能なの一機もないの?
0064失業者NGNG
ないときいております。
アメリカにあるやつも翼などかなりつくりなおしてるらしいです。
0065>62NGNG
バブル期にやっておけばよかった  レプリカ製造
0066名無しさんNGNG
富士重も三菱も日産も、車作るのが暇そうだから、工場の一角で・・・。
0067名無しさんNGNG
やろう〜!
光岡自動車で零戦キット
0068名無しさんNGNG
 そういや何かのIF戦記モノで
零戦100型なんてものを見て大笑いしました。
うーーむあれは何の本だったのだろうか??
0069名無しさんNGNG
>65 レプリカ製造
バブル機に三菱名航でやらなかったっけ。
「復元」といってるが、「製造」だったとの噂。
0070名無しさんNGNG
志茂田という馬鹿者が「零戦88型」をだしていた。
機体と発動機を8回も変えながら生産を続けるようでは・・・
新型機の開発が出来ないって事だからifのせかいでも・・・
0071名無しさんNGNG
凄いのは零戦100型だろ。
10番目の機体にエンジン無しという物凄さ!
……何も考えてないことが容易に想像できて悲しい…
0072失業者NGNG
>バブル機に三菱名航でやらなかったっけ。
>「復元」といってるが、「製造」だったとの噂。

やったよ。確か「零戦燃ゆ」かなんかの戦争映画用に。
「連合艦隊」の大和同様製造元に作らせたのをうりにして。
で、出来上がったものは両方全然だめだった。
0073名無しさんNGNG
丸に載っていたが今確かロシアでレプリカ作ってて夏ごろ飛べる見たいですよ
0074>73NGNG
取り外し可能なFRP製のフロートをオプションで付ければ、飛行場がなくても飛べます。
だれか買って!
0075名無しさんNGNG
ゼロ戦さいこー
0076名無しさんNGNG
ゼロ戦の旋回力は当時世界最高だった。
日本もかなりの技術力があったみたいなのに
どうして負けたのだろう?
0077名無しさんNGNG
>75@`76
このスレッドを最初から読みなさい。
0078紫電21型NGNG
零戦はわずか1000PSのエンジン出力であれもこれもと欲張りすぎたために
性能向上が難しかったともいわれています。事実初期の零戦2号戦(11型と21型)
が一番航続距離も長く、離陸速度と着陸速度も一番低く操縦性も一番高かったそうです。
 3号戦(32型と22型)の32型は横転速度の改善とスピード、急降下制限速度の改善を
ねらいましたが、航続距離が30%減ったためにガタルカナルの作戦に有効に使用することが
できず航続距離を伸ばすため22型ができました。しかし32型の特長は無くなってしまいました。
 5号戦(各種52型)は集合排気管をロケット排気管に改め速度と上昇性能は向上しましたが運動性
はさらに落ちました。丙型は重くなりすぎて最悪だったそうです。
 64型はエンジンを金星に換装し性能も大幅に向上しましたが生産準備中に終戦になりました。
零戦は機体の防弾の要求が無かったので世界の一流機になれたと言っているパイロットも多くいます。
でも1000PSクラスの戦闘機では最高の飛行機であると思います。2000PSクラスの戦闘機に
充分対抗することができたのですから。
 零戦は長く使用されすぎたのではないでしょうか。後続機の烈風が後一年早くできていたら、雷電が一年早く
実用になれば、紫電改が一年早く量産されれば、名機として引退できたのにと思います。
 日本の航空エンジンの実力が低いため後続機ができるのが遅くなりすぎて残念だと思います。みなさんどう思われますか?
0079名無しさんNGNG
零戦はつまるところレーサー的存在だったんだと思う。
それもフォーミュラカー。
商品化をまったく考えていないから発展余裕も何も必要な
い、レギュレーション内で最大の性能を引き出すことに傾
注されているフォーミュラカー。

絶対性能で零戦が劣った(当時として)存在だったとは思わ
ないけど、何よりもまず工業製品である軍用装備ではやっ
ちゃいけない設計手法だったとは思うね。
後継機がどう、という意見もあるけど後継機の開発が進ま
なくて、それでもなんとか改良を重ねて戦い抜いた機体も
少なくなかった現実を考えると、性能ではともかく設計と
しては「劣った」機体であったと考えざるを得ない。

むろんこれは設計局の責ではなく当時の日本の技術力を無
視した軍側の要求にあったことは明白なんだけど。
0080名無しさんNGNG
>76
 ゼロ戦っていうのは堀越さんの設計は良かった。
しかし、「技術力」っていう点では所詮1000PS級だった。
 ゼロ戦の初期の戦果っていうのは機体の性能っていうより
搭乗員の技量によるところが大きいんじゃないかな。
 「技術力」の格差を実感するには本を何冊も読むより
日本工業大学にある工業博物館にいってみるのがいいと
思います。
 当時の工作機械がずらっと展示されてるんですが、国産
のものと米・独製では作りが雲泥の差です。
 国産工作機械は部品の合わせ目がいい加減でやすりで
削って無理やり噛み合わせた跡だらけです。。。
 技術者にいわせると技術ってのはようするに精度だと
いうことですから巨大な「技術力」格差があったわけです。
 それと燃料技術の差が大きいと思います。米国はハイオク
ガソリンをふんだんに使っていましたが、日本には
まともな燃料がなかった。地味ですが差を埋めるには
とてつもない金・時間・技術が必要なことを考えると
とてつもなく大きい差だと思います。
 日本が2000PS級のエンジンをまともに量産できなかった
背景にはこういう巨大な「技術力」格差があったわけで
日本の技術が米国に負けていないとはとうてい言えない
わけです。
008179NGNG
>78
2000psクラスエンジンをまともに量産できなかったというよ
りも一切量産できなかった、というべきか...
例のハ45にしたところで私としては2000psに届かなかった20
00psエンジンというよりもむしろカリカリチューンでなんと
か1800psを絞り出した1300psクラスエンジン、と見なしてい
ます。
そう考えると結局最後まで手なずけられなかったのも納得...
町工場でレース用のチューンドエンジンを作ってそれを乗用
車に載せて日常利用、維持管理...悪夢です^^;

結局、零戦に限らず日本の軍用機はどこかレーシングカーの
イメージがあるんですよね。先鋭化したチューンで無理矢理
スペックだけ出す、っていう...。
そうでもしない限り工業先進国の「工業製品」に対抗するス
ペックを絞り出せなかった、というのがあるわけですが。
というよりもスペックで並び、追い越すことだけに気を取ら
れ基礎となる技術についに無理解なままであった軍部..

それを象徴するのが零戦でありハ45であったように思う。
0082陸軍機派NGNG
原型は零戦・隼とほぼ同時期の百式司偵は、終戦最期まで輝きを失せなかった
三型では630km/hに達し、さらに後期量産(改造)型は12km/hの増加と
なった。P47とP51のみいくらか優速であったが、上昇追跡となること
が多いため、振り切られる場合が多かったといわれている。
原型は昭和15年の初飛行で、しかも日本の低オクタン燃料でこれは驚異的で
ある。(試作の四型は平均700km/hを出している。)

零戦は出現当時は偉大であったが、日本のナンバー1は百式司偵だと思う。
008369@`79NGNG
復元した機体は、今でも小牧工場に展示してあるよ。
今度は、秋水を復元するっていいってた。
0084>82NGNG
偵察機だけ良くても戦争にならんぢゃないの?
0085>紫電21型NGNG
堀越氏の回想では1年以上早く出す事も可能だったようですね。
エンジンを金星に武装を20mm*2に押さえれば重量、出力ともに
バランスが回復でき、結構有望だったとの事ですが・・・

スタッフが余り居ない所に多数の開発や改善が重なって思うように
出来なかったのかもしれません。
軍が新型機の方にばかり注目していたせいもあるかもしれません。
零戦を最も生産していたのが中島だったからかもしれません。
(栄は中島製、金星は三菱製)
金星は多機種に優先的にまわされて余裕が無かったのかもしれません。

最大の原因は日本のずさんな兵器行政が招いた事なのではと思います。
0086>85NGNG
零戦11,21型の3000kmを越す足は栄12型でないと無理だったような気がする。

もちろん金星40系1000馬力から始めて、逐一改良して50系1200,1300馬力、60系1350,1500馬力と向上してゆけば
最後に大改造で誉1800馬力まで進化できた可能性も否定できないから、惜しいとおもう。

最初の試作機に瑞星を積んだのが一番痛いね。瑞星780馬力なんて96戦改造用にこそふさわしいもの
0087>81NGNG
誉の設計は、おっしゃるとおりで基本的に栄の18気筒版でしかありません。
1600HPあたりを狙っていたのですが、問題は要求出力をさらに欲張りすぎた
事と、仕様どおりに製造できなかった事があると思います。
末期においては数をこなすために、不良チェックがかなり甘くなり
いいかげんなものまで納品されてしまったようです。
今に通ずるお役所仕事的な事が横行していたと聞きます。

実際、誉も部隊(47戦隊でしたっけ)によってはちゃんとした稼働率を誇っています。

ていうか、その原因は当時の日本の技術知識水準が低過ぎる事に有ると思います。
なにしろ自動車に乗れるのがまだ特殊な技術でした。
軍隊に入ってはじめてエンジンに触る人も多かったでしょう。
ましてや、そういった行政を取り仕切る高級将校などはさらに世代の年代なので
さぱっぱりわからなかったのではないかと想像します。
ここで大きな差が出てくると思います。他国では、エンジンのプラグや
オイル交換、オーバーホールをするのは当然ですが、日本ではほとんど
そういった習慣がありません。
その部隊はちゃんと整備をする事によって稼働率を維持できたようです。
日本では特異な方式だったようで他の部隊から良く見学者が来たとの事ですが
アメリカ軍の整備方式は(当然ながら)同じようにやっています。、

また、失策としては本来リスクの大きなエンジンの開発を一本に絞り、
他のエンジン開発を中止させた事が有ると思います。

0088名無しさんNGNG
うちの親父は航空自衛隊で整備整備やってたけど(’50〜’60年代)、
工具ひとつ取っても工業水準の差はものすごかったらしい。PROTOの
工具を一定期間が過ぎると廃棄してたそうな。メッキのしっかりしたまだまだ
使えるものだったため米軍が廃棄したものを拾ってきて自分用の工具にしていたそうな。
特攻隊の記念館で見た日本製の工具は錆びてるとはいえかなりお粗末なものでした。
勝てるわけ無いなぁと思いました。
零戦といえば当時の米空軍のパイロットの規定の中に自分の判断で逃げる際の
判断の基準のなかに「ゼロと遭遇したときと」というのがあったそうな。
0089妄想神話NGNG
>1ばかですか?たかが一戦闘機の性能で戦争がどうなる訳ないだろうが
元々古臭い塵屑同然の軍隊が勝てる分けないだろう!ばか
自国の戦闘機を良く言うのはわかるが、零戦が名機と呼べるのは
太平洋戦争初期だけの話だろうが、過大評価するな!

0090名無しさんNGNG
ううう〜〜〜んっ。
ず〜っと読んできたけど、零戦の話でしょう?
個人的には「レイ戦」と読みたい・・けど、それはそれとして、
「戦闘機」として考えたら、あれはかなり問題あるよ。
サーカスやアクロでもやる飛行機ならともかく、「戦う機体」と
してはアレはいかん、と思います。
出力がどうの・と言う話も常に出てきますが、何よりもパイロット
依存型・・、名人芸的搭乗員にかかれば無敵の存在、多少の能力差
を凌駕して十二分な性能を見せつけることも可能かもしれないけど
戦争というものは所詮は「消耗戦」でしょうが。
ルーキーやA級以下のパイロットにとってはあの、人命無視の脆弱
な防弾設備は致命的で、いくら機動性にその分を割り当ててあるとは
いえども、命有ってのモノダネ・・ですがな。
後ろから一連射くろても、考えられるだけの時間を約束出来る防弾
設備は不可欠であったはずです。
けど、いくらエンジンの出力を改良しても、安全性はそのまた後を
追っていた・・と言うのが、私の見解です。
そう言う観点からみれば「ゼロ戦」は超一流の飛行機やけど、戦闘機
と言う見方をすれば、私は辛いけど、二流品やと思いますよ。
0091名無しさんNGNG
>90
 それは結局は軍中央の戦略・戦術思想の問題だからどうしようも
ないと思います。
 ドイツに影響されて総力戦思想を語る人は多かったけど第一次
大戦を体験してないので真の理解はしていなかったということで
しょう。
 そのため、戦略思想としては短期決戦、戦術思想としては格闘
戦を念頭においていた。
 根本が間違っていたのだから現場の一技術者がいくら優秀でも
どうしようもない。
 ただ、戦略が短期決戦ならば戦争全体をそれにあわせて設計す
べきであったのであり、それができなかったのが敗北の原因。
 とすれば、太平洋戦争という与えられた場ではダメ戦闘機だった
のかもしれませんが、戦闘のための飛行する機械としては二流品
というのは酷なんじゃないでしょうか。
 あたえられた状況とミスマッチングだっただけで物としては当時
としてはやはり一級品と評価していいと思いますが。
0092名無しさんNGNG
>91
私もむしろ90の考えに賛成です。
再三に渡ってレーシングカーと書いていますが、レーシング
カーというものは「車としての性能」では並ぶものがありま
せんが「実用品、工業製品」としては落第生です。

あの時代、生産された戦闘機の中では機動力、航続力、武装
(これは異論ありかな)において間違いなくトップクラスでし
たが軍用装備としてはやはり問題点のほうを多く抱えた落第
点とせざるを得ないように思えます。

私にとって合格点の兵器とは
1.まともな数を運用、維持が可能であること(合格)
2.後継機の登場、実用化まで命脈を保つこと(この点で不合格。
A7Mの開発が遅延したことを考えても陳腐化早すぎ。3にも絡
むが)
3.これが一番大事。扱う人間の職人芸に頼らない。平均的な技
量の人員が扱って要求された能力を発揮しうること(これもダメ)

やはり工芸品としてはともかく工業製品、それも軍用装備とし
ては合格点を上げられそうにないですねぇ...
0093名無しさんNGNG
零戦は「職人芸に頼る」ような戦闘機ではありませんよ。
そういう飛行機は雷電とか紫電改をいうのです。
0094名無しさんNGNG
>93
零戦は完全に格闘専用機、つまり職人芸ヒコーキでしょうに。
0095>94NGNG
格闘戦専用がなぜ職人芸ヒコーキなんでしょうかね?
格闘戦と一撃離脱は相反する戦法である以上、両方に秀でた戦闘機
なんて存在しませんよ。どちらかに偏るのは当然のことです。
それだったら独軍機なんて、「一撃離脱専用」でしょう。
これも立派な職人芸ヒコーキですよ。
0096紫電21型NGNG
>94
零戦はどんなパイロットが乗ってもそれなりに動く機体だったそうです。
雷電や紫電改のように恐ろしい、乗りにくい、操縦性が悪いという評判が
でなっかたそうですから、詳しくは朝日ソノラマの文庫本に雷電について
書かれた本がありますので参照にして下さい。しかし、名パイロットであ
っても機体の能力以上のことはできません。空戦方法に一番の問題があった
のではないでしょうか。
0097名無しさんNGNG
格闘戦と一撃離脱では搭乗員技量への依存度がまるで違います。
ていうか本気で言ってる?
009894NGNG
操縦性に関しては特に言及してないですよ、私の発言。
むしろ練習機からの乗り換えも比較的楽な、操縦性に優れた
飛行機だというのは知っています。
しかしながら操縦性がいいというのと格闘戦ができるという
のは全くの別問題でしょう。

格闘戦の技能はどう考えても「職人芸」ですよ。
つまり格闘戦に特化した零戦はやはり職人芸ヒコーキと言わ
ざるを得ないでしょう。
降下限界の低さから一撃離脱戦法に切り替えるのも無理があ
ったでしょうし、やはりパイロットも込みで戦力になる戦闘
用の航空機としては問題があると思います。
0099名無しさんNGNG
本気で言ってますよ。

搭乗員の技量とは、テクニックだけを指すのではありません。
判断力・理解力・計算能力などの頭脳の問題や、
高Gに耐えられるだけの体力なども含みます。
その点から見れば、技量的に格闘戦>一撃離脱ということはありません。

非力で速度回復の遅いレシプロ機において、高度と速度の維持は
容易なことではありません。
優位から降下開始→攻撃→さらに降下して逃げ切る→上昇して優位を確保、
以上を繰り返す一撃離脱法には、上手なエネルギー管理が必要です。
下手な機動は速度を低下させ、それはすぐに命取りとなります。

それに格闘戦も、ひねりこみとか釣り天井とかバレルロールとか
いろいろありますけど、実戦で使われることは殆どなかったわけですし。
0100名無しさんNGNG
零戦もろくに乗りこなせないようなパイロットばかりが戦争後期には
投入されましたから、零戦より高性能な機体では戦闘は無理でしょう。

戦争初期に300機の零戦パイロットがいてそれが順次消耗してしまって
なしくずしに制空権が壊滅した。ガ島戦闘や機動部隊の戦闘を見ると
戦闘機で少々防弾性を上げてもトータルのパイロット救難体制が貧弱で
あまり有効に見えない。
0101名無しさんNGNG
>99(=95ですよね?)
ご自分の主張と矛盾した事を書かれているのですが・・・
>>下手な機動は速度を低下させ、それはすぐに命取りとなります。
ですから格闘戦は高い技量や判断が要求され難しいと主張なさる方が
多いのですけど(私もです)
それに比してまだ一撃離脱の方が要求される技量は低いと思います。

高Gでの機動を伴わない格闘戦と言うのがあれば見てみたいもんです。
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