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続きもさ。

いっぽう、立川飛行機はこの大問題に直面することは無かった。本質的に日本軍が抱える戦域は初期のジェット機でカバーしえない広さを持ち、
日本の他社はジェットエンジンの開発になかなか着手しなかったためである。
また、太平洋の向こうのアメリカ合衆国にとっても事情は同様であった。

戦局が悪化し、対応すべき戦線が縮小すると共にジェット機の利点のうちガソリン不要と言う面がクローズアップされるようになる。
立川飛行機は空気抵抗の大きな、WW2中に生産されたジェット戦闘機の中で最も低性能な機体を作ることになる。

戦後、立川飛行機の技術陣や陸軍関係者は回顧する。
「ジェット機など作らなければ、立川飛行機の生産能力であれば昭和19年から終戦までに1式戦闘機3型を2500機は作れたはずである。
 わずか900機のジェット戦闘機よりも、その方が戦局に貢献したであろう」
そして海軍関係者は嘆く。
「戦争後半に陸軍との資材割り当て争いを激化させた要素のひとつである。
 陸軍ジェット戦闘機が100機のB-29を撃墜したことは認めるが、
 しかしそれよりも10隻の駆逐艦の方が、あるいはより多くの海防艦の方が戦局に貢献したと思う。
 また、海軍が主導して開発したドイツのBMW方式ジェット機の実用化こそ促進すべきであった」

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