>>239に追加

1905年2月4日、栗野駐露公使に対し、ラムズドルフ露外相は私見と断りつつも、
露は、戦略目的で韓国領土は日本に利用されないこと、緩衝地帯(ここでは明言されていないが満州は除外されているので、
韓国領土内に設定され、そこでは日本の優越的地位は当然否定されると思われる)を設定されるのが、
露の飲める条件だと伝えている。栗野公使がこれを小村外相に伝える前に、日本政府は日露国交断絶を通告していたので、
結局、この露外相の私見は無意味になったが、これを読む限り、満韓交換論を露が受け入れていたとは思えない。
出典、横手慎二「日露外交史」