>>282 >>296 つづき
学研の歴史群像32、球磨・長良・川内型を買って来ました!

ざーーーっと読んだんですけど。
太平洋戦争中の変遷や活躍(及び喪失)については詳しく書かれているのですが。
それとカタパルト実用化前の暫定的な航空機運用についても詳しく。
1941年より昔の機銃の変遷はほとんど触れられてませんでした。
がっくし。

テキストについては数名の執筆者による共著なわけですが、いずれのかたも
> wikipediaなどでは、直接76mm単装→25mm連装と読めるような書き方されてます。
こちらの説を採用しているようでして、

>1935年ごろに76mm単装高角砲の跡地に13mm連装機銃が載せ替えられたと記載のある
>ものもあります。
>最終的には1941年ごろ25mm連装機銃に置き換えられるわけですが。
という、76mm→13mm→25mmの2段階置き換えがされたとは書いてなかったです。

私個人の考えとしては、76mmの射程を補うだけの中射程があり、威力も相応な新型25mm
が実用化されたので、旧式で発射密度が低い76mmが1941年ごろ置き換えられる、というの
は自然なことに思えます。
あと米海軍が日本海軍と対戦するためのマニュアルのONI41-42にも3inch砲と書かれていました。

一方で、76mmがさして旧式化しているわけでもない1935年ごろに、射程で大きく劣り弾威力
も大きく劣り発射数だけ多い13mm連装に置き換えるか???っていうのは、ないように思う
んですね。
こっちの2段階置き換え説がどこから出てきたのか興味が有るところですが。
みなさんはどう考えますか?

学研本見ると、1942年に、滑走台跡地の艦橋前部13mm四連装が連装x2基に置き換えられた
艦が長良・那珂・阿武隈(あるいは神通も)とあるようなので。
これが混同されたのかしら?