>>104
明に勝てる見込みは日本側が主観的に持っていただけ。
日本側が得ていた情報としては明・万暦帝治下での政治の混乱でしょうね。
実際、モンゴル人や貴州の反乱が日本の朝鮮侵攻と同じ年に発生している。
財政もかなり悪化していた。

日本側の事情としては、各大名を外征させ征服地を恩賞として与え、
不満を削ぎつつ強大な戦力を外に向けさせる事が豊臣政権の安定に必要と考えられた。
戦国の間に戦力を蓄えた大名達による反乱は恐ろしい。
また明を征服する事によって明に対する朝貢以外は公式にはできなかった、日本と中国の間の交易を
完全に掌握して莫大な利を得る事も大きな目的であっただろう。
「日本を統一したから次は明」というのは豊臣政権としては相手が弱っていると判断すれば、
飛びつきたいチャンスではあったのだ。見通しは甘いけれど。
日本の戦争計画は、極めて主観的だったとは言えると思う。
朝鮮を軍事力で威圧し服属させ、補給路を安全にした後に直隷をめざして侵攻するといった所。
ただ朝鮮は服属せず、王室は逃亡し、民衆もまた日本に服さなかった。

朝鮮から撤兵せずに戦い続ければ、ただでさえ破綻が見えていた補給は断絶し、
(豊臣秀吉が死んだ後に補給に携わっていた商人や大名が協力するとは限らない
、対価を取り損ねる可能性があるので)
弱りきった日本軍に明・朝鮮軍と現地住民が襲いかかってせん滅する可能性すら考えられる。