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0678名無し三等兵
2006/01/12(木) 01:25:30ID:???全ては山県有朋の所為。かつては統合幕僚本部が存在したのだが──
1872年に兵部省から、陸軍省と海軍省に分かれて独立し、後に
陸軍省の参謀局が昇格して、独立機構の参謀本部が出来上がる。
初代の 参謀本部長は山県有朋。しかし海軍の将官は、参謀本部長が
『陸海軍』の統帥権を 握っていることに不満を持っていた。
そして暫くは『陸主海従』の状態が続くのだが、1893年、日清戦争の直前の頃になると
海軍は「陸軍は朝鮮海峡に自力で橋をかけて、朝鮮に兵を送るのだろう」
嫌味を言ってきたので、止むを得ず海軍が独自の統帥機関をもつことを認めた。
これが軍令部となるが、陸軍は戦時に、陸軍が最高統帥権を握ることを確保する為に、
「戦時大本営条例」を 制定し、参謀総長を『統合幕僚長』とし、
戦時には参謀次長と軍令部長をその配下に置くこととした。
そして日清戦争はなんとか『陸主海従』で乗り切った。
日清戦争で北洋艦隊を破り、発言力を増した海軍は、『統合幕僚長』に海軍軍人がなれるように迫りまる。
陸軍はこれに勿論反対、戦時だけでなく平時にも『統合幕僚長』を置くことを主張し、
陸軍の参謀総長が 『統合幕僚長』を兼任する体勢にするべきだと主張し、明確に『陸主海従』を貫こうとする。
しかし、今度は日露戦争が不回避となり、海軍の協力を得るために山県はまたもや譲歩
せざるを得なくなってしまった。しかし、統合幕僚長に海軍軍人に取られるくらいなら、いっその事
なくしてしまえ、と言う事で統合幕僚本部を廃止。ここに陸海並立が成立。
後は、知っての通り、互いに別々の仮想敵を設定したり、予算の取り合いの為に師団増設なり
八八艦隊計画などを立てたりと、やりたい放題になってしまったと言う訳。
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