続き。

事此処に至って、1944年6月22日の夜、神大佐は、小料理屋に元海軍中尉で、5.15事件で犬養毅を射殺
した三上卓を呼び出して会合を持ちます。
翌23日に、高木惣吉と、神大佐が会合を持ち、次の7条件を示します。

1. 秘密保持と民間人の犠牲者を出さないために、三上卓は勿論、民間人とは一切関係を持たない。
2. 計画の実行者は7名
3. 決行後の脱出は一式陸攻を用い、パイロットと共に7名が搭乗するために、決行人員は7名となる。
  決行後6名を脱出させ、現場には高木惣吉が残り、全責任を取る。
4. 決行日は火曜か金曜とする。これは、東条がその日10時にオープンカーに乗って行くからである。
5. 決行方法は自動車3台に7名が分乗して、東条首相のオープンカーに衝突させ自動車事故とする。
  失敗したときは射殺する。
  場所は海軍省手前の四つ角で、1台は海軍省に、大審院の壕側にもう1台、内務省に1台を配置し、
  見張を警視庁前に置いて、東条の乗ったオープンカーが見えたら合図し、四つ角にさしかかるところで、
  前と両方の進路から突入して襲撃する。
6. 決行者の脱出については、厚木基地司令の小園中佐が協力し、一式陸攻で決行者は台湾に脱出する。
7. 決行日は高木が決定し、決行日2日前に決行者に直接連絡する。

で、6月23日に東条首相はサイパン放棄を決め、24日、いよいよ臍を固めた高木惣吉は岡田大将を訪ね、
決行を打ち明けます。
岡田は之に反対しますが、高木の決意は固く、決行前に必ず連絡させることを約束させて帰します。
それから、岡田大将は、伏見宮元帥を訪ね、海軍内部の状況を報告し、伏見宮から天皇に上奏が行き、
嶋田更迭、東条辞職の布石が打たれたため、暗殺決行は中止となりました。