8月末から9月にかけて、帝国海軍の潜水艦が米空母を撃沈1、撃破1という立派な
戦果を上げ、米海軍には稼働空母がホーネットしか無くなった。これは最高の
好機であった。ガ島周辺の米軍は震え上がった。敗北が目前に迫っていたのである。
日本海軍が空母と戦艦で攻めて来れば、阻止はどうやっても不可能である。

しかし、帝国海軍は攻撃しなかった。そればかりか、「第二師団の輸送船団の
護衛作戦はやらないから」とまで言い出す始末だった。
そこで辻が山本五十六に直談判して、船団護衛作戦をやってもらえる事になった。
ところがこの護衛作戦というのが、また腰砕けの代物だった。

第二師団の輸送作戦を前にして、9月13日、戦艦金剛と榛名がヘンダーソン基地を
たったの40分間、艦砲射撃した。この際の後方支援は空母5、戦艦2、重巡9、軽巡2、
駆逐隊三個群という大艦隊であった。これらの大戦力は、ただ後方にいるだけで、
何もしなかった。艦砲射撃を終えた大艦隊は、これから来る輸送船団の洋上護衛や
揚陸作業中の護衛などは端からするつもりはないので、さっさと引き上げてしまった。

翌日、二五航戦の小野飛曹長が、ヘンダーソン飛行場を偵察した。
彼は「砲撃の成果は不十分。無傷の飛行機多数」と報告した。
これに対し、二五航戦の参謀は「デタラメ言うな!!!!」と激怒したという。
そこに顔を出した源田が「まあまあ」と取りなして、その場は丸く収まった。

そして海軍は陸軍に、「敵基地は壊滅」と報告した。

輸送船団の揚陸作業が始まると、壊滅したはずの飛行場からカクタス航空隊が
ピストン攻撃を仕掛けてきて、輸送船は次々撃沈。荷揚げした重火器等の機材も
失われた。

陸軍は再度、船団護衛を海軍に要請した。しかし海軍はこれを拒否。
この日の宇垣の記録には、陸軍の要請を「一蹴セリ」と、得意げに記されている。

世界の歴史を振り返っても、これほど信用出来ない軍隊というのも珍しいのではないか?