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●西南戦争で西郷軍に勝ち目はあったのか?●

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0001名無しさんNGNG
あまりに粗暴としか思えない作戦計画なんですが、
作戦が違ったものだったとして西郷軍に勝ち目はありま
したか?
0002名無し三等兵NGNG
無い。近代軍隊を舐めすぎ
0003名無し三等兵NGNG
2よ、いきなり正解を言ってしまうな、1がかわいそうだろう

1よ、神風が吹けば勝てる、もっとも元寇の役以来、吹いた試しがないのだが。
0004名無し三等兵NGNG
2.西南戦争直前に島津義久公と兵力5万がタイムスリップしてれば勝てた。
0005名無し三等兵NGNG
>>4
島津兵の大虐殺になるぞ。(w
0006名無し三等兵NGNG
弾薬工場をパクられたのは大いなる痛手だった。
0007名無し三等兵NGNG
熊本鎮台がびびって無血開城して武器を得、柳川、久留米、佐賀、秋月と
北上するに従い不平士族が合流していき、関西まで戦闘が起きなければ
あるいは・・・・。
0008名無しさんNGNG
兵站部門がなきに等しい状況ではどうあがいても無理なので、
当時の有力商人と通じる事前工作が欲しかったな。
あるいは、外国勢力を利用し支援させるか?
代理戦争的内戦に発展する?米英は明治政府寄りだったので、
仏印まで来てたフランスなんて巻き込んだらどうよ?
0009NGNG
やはりあの状況ではどうにもなりませんか・・・。
0010名無し三等兵NGNG
>北上するに従い不平士族が合流していき

当時の主要な街道は、だいたい海沿いだろ。
艦砲射撃を食らってエライことになるよ。
西郷軍には海軍ないし。
0011名無し三等兵NGNG
暗殺の事実があったんなら暗殺で返す。大久保と山県をあぼ〜んする。
0012名無し三等兵NGNG
>仏印まで来てたフランスなんて巻き込んだらどうよ
当時の新政府の陸軍編成はフランス式導入してるし無理でしょ。
海軍はイギリスだしその時点で使える列強はロシアぐらいか。
(そーいや日露戦争ン時西郷がロシア軍とやってくるとか言われてたっけ)
0013名無し三等兵NGNG
>>12
イギリスが政府軍についた時点で、ロシアの介入は不可能でしょ。
イギリス海軍と喧嘩できっこないから。
0014名無し三等兵NGNG
>>10
いやその心配はない。
もちろん海から見えるところを通っている部分もあるが
当時の艦載砲は射程が短く、間接射撃ができない。
0015名無し三等兵NGNG
西郷ドンは端から勝つ気なんぞ無かったんだから、まず本人をその気にさせるのが先決だね。
0016名無し三等兵NGNG
艦砲射撃みたいな事を戦国時代に島津が対大友戦にやってたみたいだ
0017名無し三等兵NGNG
ロンドンに降着した火星人とチャネリングして救援を乞う
0018名無し三等兵NGNG
>16
国崩しだっけ?
0019名無し三等兵NGNG
>16,18
苦肉寿司(ATOKの馬鹿ヤロー)なら大友が島津にじゃないか?
0020名無し三等兵NGNG
島原の乱は?
0021名無し三等兵NGNG
結論
東京旅行なんぞ考えずに家で芋喰ったり近所の餓鬼と相撲とったりしてるべきだった
0022名無し三等兵NGNG
ないとはいえんとおもう。
熊本城に固執せず、四国、
中国にわたり、不平士族
を糾合する。まあ、野村
忍助の戦略だが。野村が
桐野にかわって薩摩軍全
軍を指揮していれば、か
なりちがったたたかいに
なったはず。薩摩軍のな
かでは野村のみ近代戦を
知っていた感がある。野
村部隊(奇兵隊)のゲリ
ラ戦はかなり政府軍をく
るしめた。
0023名無し三等兵NGNG
>>21
近代戦争のリハーサルが出来なかったおかげで、日露戦争で日本アポーン
0024名無し三等兵NGNG
開戦当初野村がだした作戦や戦略もほとんど握りつぶされたが、山県がこれをやられたらこまる
というものばかりだった。
0025名無し三等兵NGNG
まあしかし野村戦略のまま戦争がすすんだら、日本を二分する大内乱
になっていと思われ、政府軍がかつにしても薩摩軍がかつにしてもそ
の後の日本にあかるい未来はなかったろうと思われます。しかし野村
なら河井継之助以上に政府軍を苦しめることができたかもしれません。
0026名無し三等兵NGNG
まあしかし野村戦略のまま阪神が勝ちすすんだら、日本を二分する大内乱
になっていと思われ、巨人がかつにしても阪神がかつにしてもそ
の後のサッチーにあかるい未来はなかったろうと思われます。しかし野村
なら星野以上に巨人を苦しめることができたかもしれません。
0027名無し三等兵NGNG
>25
明治政府が大規模な内乱を自力のみで鎮圧した
という事実は、明治政府が日本を完全に掌握している
事実を示したわけだ。

もし鎮圧できないようなら欧米列強が間違いなく介入して
きたことは容易に想像できる
0028名無し三等兵NGNG
>>27
そだね。東京や大阪までは攻め上れないにしても、
九州制圧なんかされて長期戦にでもなったら確実に他国介入だね。
幕府は米英に、西郷軍側は仏清あたりにでも協力を要請してたら
目も当てられなかった。
0029名無し三等兵NGNG
>27そういうことですね。西郷はまあ薩摩士族、その他の不平分子と心中する
つもりだったんでしょう。日本のためにね。だから野村の戦略案を次々とにぎり
つぶす桐野のような単なるテロリストに全軍をまかしてしまったんでしょう。
0030名無し三等兵NGNG
純粋に軍事的に見た場合、絶対薩軍に勝ち目はなかった訳?
兵力は確かに政府軍が3〜4倍だけどさ。
0031名無し三等兵NGNG
あのメンツの中では野村が一番まともなんだよな。
0032名無し三等兵NGNG
>>29
さすがにそれは西郷を過大評価しすぎだと思うぞ。
西郷が勝つ為の戦略を全く打たなかったのは事実だけど、
負けるとは思ってなかったっぽい。
0033名無し三等兵NGNG
>>30
どこまでを西郷軍の「勝ち」ととるかにもよる。
九州で独自勢力樹立くらいなら充分可能性はあった。
0034名無し三等兵NGNG
不平士族で膨れ上がったとしても、種子島もっとるやつもおおいし、だいいち補給はどうすんのよ
0035名無し三等兵NGNG
>32というか交渉しにいくのに、桐野らが騒ぎたてたような
もんだと思うが。
0036名無し三等兵NGNG
最初熊本城を攻撃した時、野営も炊事の準備もしてなかったとか、19世紀末の軍隊とは思えないDQNさが良い
0037名無し三等兵NGNG
補給は大山あたりに交渉させてフランスあたりから買う。
そもそも官軍側だってまともに自給できてないし。
0038某研修生NGNG
まあ政府軍内部にも西郷軍のシンパがいたわけだろうが。政府内部だけ
でなく奥州、北越にも反政府的鬱憤が溜まっていた時期であることも考
えれば西郷軍の勝ち目がまったくなかったといえなかったわけだろうか。
戦争がながびけば親西郷派によるクーデターもありえたといえようか。藁)
0039名無し三等兵NGNG
まあ野村だけが近代戦的な戦いをしようとしていたかな。偵察、補給、だけでなく
政治的配慮まで心得て戦っていた。野村部隊の豊後戦線にはのちに日露戦争で活躍
する将軍たちが野村とたたかっているが、野村は寡兵ながらゲリラ戦でたくみにた
たかい薩摩軍本隊が総崩れしてくるまで豊後戦線を維持しつづけた。
0040名無し三等兵NGNG
>>38
しかし、東北は天皇をいただく明治政府より、官軍の将星であった西郷、そして率いられた薩摩士族への反感が強かったんだぞ。
事実、東北のどっかの藩は家老が旧家臣を束ねて抜刀隊に志願している。
0041名無し三等兵NGNG
>38
残念ながらその手の”反乱”がだいたい鎮圧してから西南戦争は起きたから無理だわ。
その最後の”爆弾”を自ら処分したから大西郷と称えられてんぢゃないの?
(エクソシストのカラス神父みたいなもん)
0042名無し三等兵NGNG
確かに維新で西郷がやってきたことを考えれば、
旧佐幕派の士族が西郷に靡くなんてことはまずあり得ないな
0043名無し三等兵NGNG
親西郷派なんて薩摩士族だけだろ?
思考過程まで師匠譲りか?
0044名無し三等兵NGNG
>40
旧会津藩家老佐川官兵衛のことか?
0045名無し三等兵NGNG
賊軍に仕立てられてさんざんな目に遭わされた会津他奥羽各藩が
反薩摩だったのは当然だろう。抜刀隊の主力は東京都の巡査
(元会津藩士多し)が軸となって編成されたというし。
しかし、旧幕臣などには新政府への反発が根強く、勝海舟は士族層
を地道に懐柔してなんとか暴発や乱への参加を押さえ続けていたと
いう。まさに、危機一髪の状況だったのだ。
0046NGNG
熊本鎮台の武器弾薬を入手できれば可能性はあった。

1・中国・四国地方の不平士族が蜂起して、官軍の補給線を長期間遮断すれば、
 熊本城戦の勝機はあった。
(もしくは別働隊を山陽道に派遣し「後方攪乱」を行うのも有効)

いずれにしても、挙兵前にもっと周到な準備をしなくては・・例えば
2・事前に熊本城に内通者を用意するのに成功していたら・・・・
0047名無し三等兵NGNG
正直、西郷DONに本当に買ってやろうという気があったのだろうか?

仮にに九州を制圧したとしてその後の展開を考えていたのかは
かなり疑わしい。
0048少佐NGNG
西南戦争は勝つための戦争ではなく、武士として死ぬための
戦争だと思う。
だから西郷軍は本懐を遂げて、無念無く、死んだ。
0049名無し三等兵NGNG
西郷翁の心づもりとしては、日本にただ一人の陸軍大将たる自分は、
征夷大将軍と同等の地位にあり、新政府に異議を唱え、自ら政権を
握る権利が自分にはある、と考えていた節がある。
真剣に軍事クーデターを考えていたというよりは、何か大勘違いを
していたのではないかと司馬遼太郎は書いていたような気がする。
他の人だったっけ?
0050名無し三等兵NGNG
西郷さんは政権返り咲きを狙ってたんでしょうな
で、士族の軍勢引き連れて東京までパレードすれば、明治政府の誰も自分に
対抗できないと考えてたんでしょう
あの軍勢も政府軍との戦闘に備えていたというよりむしろ示威的な効果を
狙ってたんでしょうな
勿論、戦闘を全く想定していなかった訳ではなかったでしょうが、
あったとしても小競り合い程度だろうと甘く考えてたんでしょう
だから、西郷さんにとって真面目に戦争しようとしてた野村さんなんかは
ウザかったんじゃないでしょうか
きっと西郷さんは、九州を制圧したり、延々と内戦やって新政府を打倒しようとは
毛頭考えてなかったと思います
0051名無し三等兵NGNG
>>48
ああああああああああ!!!!
少佐がマトモなこと言ってるYO!

曝し上げ
0052名無し三等兵NGNG
熊本城攻めるときに、「このイラサボー(青竹)一本で十分でごわす」
とか広言したのは桐野利秋(人斬り半次郎)だっけ。
0053名無し三等兵NGNG
西郷どんは民衆に人気があったと聞いたんですが本当でしょうか?
0054名無し三等兵NGNG
なにぶん人気といってもいろいろありますから。
地元鹿児島でも、顔を知られていなかったそうですが。
0055名無し三等兵NGNG
日本史版の西南戦争スレってもう沈没したの?
どなたかサルベージしてよー。
0056名無し三等兵NGNG
>54
今残っている肖像画も本人ではないという話もあるし
有名な話では上野公園の銅像も除幕式で幕がはずされた瞬間に
未亡人が「西郷はこんな顔じゃありません!」といったという
物まである
0057名無し三等兵NGNG
>56
小林よしのりが西郷さんの写真を見たと言ってたな。
鹿児島のとある旧家にあるらしい。
小学校には必ず西郷の銅像があるって、ホント?>鹿児島の方
0058名無し三等兵NGNG
ありません
0059名無し三等兵NGNG
>54
日本全体で見てですよ。

抜刀隊の歌詞の"敵は古今無双の英雄で"ってのも西郷隆盛が一般大衆に人気があったから、
作曲者がそれに配慮してその部分を入れたと聞きましたがどうなんでしょうか?
0060名無し三等兵NGNG
小林よしのりだからなあ。
006157NGNG
>58 ガクっ。ありがとう。

>59
世界に軍歌数ありといえど、敵の大将とその兵隊を褒め称えるような歌詞は「抜刀隊」だけだろうなあ。
0062名無し三等兵NGNG
>>59
西郷隆盛は右翼思想の源流の一つなのです。
日本流滅びの美学の体現者として、忠臣蔵、新撰組に次いで、西南の役の
西郷隆盛が挙げられるくらいです。
ちなみにこれらは、ヤクザ系の方々もこよなく愛する(新撰組はまた別)
ものだそうで。
民を思い、世を憂う純粋な心情、それが直接行動に結びつく潔さが褒め称
えられるのでしょう。
悪くいうと思わぬ筋からひどい目に遭いそうですし、よく言おうにも人物
自体が茫漠として計り知れないという部分があるようで。
勝海舟は西郷隆盛をむちゃくちゃ褒めちぎりましたが、「その西郷を手玉
に取った俺はもっとえらい」と言おうとしてるのだから、額面通りに取っ
てはいけない、と指摘する人もいます。
なんにせよ、説得力のある新しい西郷像を描き出して見せたらそれだけで
飯が食えそうではあります。
0063板違いサゲNGNG
>62
「南州残影」はどう?
私としては今のところ、あれが一番納得いく解説だったけど。
0064名無し三等兵NGNG
いわずもがなではありますが、
現代版滅びの美学の最たるシンボルが特攻隊、その安物の複製が
宇宙戦艦ヤマト、であります。
0065最南端 ◆KOHAkul. NGNG
西郷軍の敗因は、
「絶対的な兵力と補給の差」
に尽きるかと思われます。

それを補う為に地形を利用した防御戦闘を行っています。
「田原坂」がそうですね。
切り通しが多い為、道の両脇の高所から狙撃し、混乱した所を
抜刀して突撃。これ最強。

然し、これとて限界があります。
損耗した戦力を各地からの志願兵で補強した結果、
地理に精通していない部隊が要衝を守る事が多くなってきました。
結果的にその要衝を奇襲され、田原坂に展開していた部隊は
側背を突かれる事になりました。

西郷軍の敗走が始まります。
既に田原坂で消耗戦を演じ、弾薬は底をついています。
田原坂に於いても弾薬不足の為、敵の銃弾を集め
再び溶かして弾の補充を行っています。
それさえも足りなくなり、石や木の実の弾丸さえ使われています。

その後の西郷軍の経緯は話すまでも無いでしょう。
0066名無し三等兵NGNG
>>62
説得力はあると思いますが、生きた西郷がそこにいない、という
気がします。理念としては理解できるのですが、それに基づいて
戦争を起こして自分の最も親しい友と決別し、慕ってくれる多く
の同郷人を死に導くとはどういうことでしょうか。
結局あれも司馬遼太郎の西郷像が影を落としているような気がす
るのです。
スレ違いなので御免。
0067名無し三等兵NGNG
田原坂そのものを破られたんじゃなくて、後方陣地を奇襲されて陥落したんだよね。
高鍋隊だったっけ、壊乱したの。

ちなみに最南端氏は鹿児島の人?
0068最南端 ◆KOHAkul. NGNG
>>67殿
確かに高鍋隊でしたね。眠りこけていたのを奇襲されたようですが。

で、>田原坂そのものを破られたんじゃなくて、後方陣地を奇襲されて陥落したんだよね
言葉足らずで申し訳無いです。田原坂だけの話に見えてしまいますね。

>最南端氏は鹿児島の人?
はい、薩摩半島南端に生息しています。
でも、先祖は中津隊だったらしいです(w
0069兵八NGNG
>68
お、中津隊とはスゴイ。増田宗太郎に従って城山に突入した8人の内の一人ですか、御先祖様?
南州墓地には増田宗太郎の墓もありますよね。
福沢諭吉は「中津から宗太郎が出たのは、灰吹きから龍が生まれたようなものだ」と評したとか。
0070最南端 ◆KOHAkul. NGNG
>>69殿
消防の頃に親戚から聞いた話なのでよくは覚えていないですが、
竹田の戦いに投入されたらしいです(´-`).。oO(分派されていたのかな?)

兎に角、次の休日に南州墓地にお参りに行ってきます。

因みに昨年6月に別板での用事で田原坂まで車を走らせたのですが、
遠くまで見渡せられる高台の上、切り通しの道路を走っていると
両脇から狙い撃ちにされる情景を思い浮かべてしまいました。
道も狭く、隊列が細く長くなりがちな場所でした。
0071兵八NGNG
>70
私も行ったことがあります、田原坂。箱庭のような美しい田園でした。
抜刀隊が出撃、両軍争奪の焦点となった横平山は、ミカン畑になっていました。
登ると、田原坂後方七木方面の薩軍本営跡が一望できました。
田原坂を旅順に例えるなら、横平山はさしずめ二百三高地といったところでしょうか。
0072名無し三等兵NGNG
西郷丼上げ
0073名無し三等兵NGNG
あがってなかったでごわす
0074基地ノ助NGNG
 鶴丸城の石垣の弾痕 萌え〜
0075 NGNG
熊本城を無視して南関、長崎に攻めあがればおもしろいことになってたと思うよ。
0076黒騎士NGNG
司馬遼太郎は迂回すればいい熊本城を攻撃したのは
250年のトラウマみたいなものでそのまま福岡まで行けばよかったのに
軍事的判断ができなかったといいます
西郷自体が戦争する気がなかったとしか思えませんね戦略的思考が存在しない
0077黒騎士NGNG
わたし山口県出身なんで大村益次郎を尊敬しますが
西南戦争10年前の暗殺直前に
鹿児島武士団を仮想敵にして大阪に戦略拠点を建設予定したんだから
彼の勝ちですね
西郷が勝つシュミレーション小説読んだら不快でした
0078黒騎士NGNG
西郷は軍事専門家ではなく政略の人でしたから
鹿児島にこもって時期がくれば政治的に
巻き返すつもりだったでしょう
0079名無し三等兵NGNG
司馬遼太郎が書いてた、西郷病気説ってのはあれは
ネタですか?
激しく頭部を打った後遺症で冷静な判断力が失われ
たとかゆーの。

あと、そもそも大久保&川路の西郷暗殺の事実はあったのか。
0080名無し三等兵NGNG
後半になってくると3日も飯が食えずに口にしたのは野イチゴのみ。
こんなんで勝てるか。
0081名無し三等兵NGNG
どうも戦争目的が明確じゃない
西郷自身も政府内部で孤立、勝手に陸軍大臣の職を放り出して鹿児島に帰ってしまった(もちろん受理されてない)
たまたま禄を廃止された不平士族の反乱が頻発してたので、利害が一致したといったところか
不平士族が全国で同時決起してれば見込みもあったかも知れないが、それも封じ込まれた
決定的だったのは後方の日奈久に上陸されて、補給路も退路も断たれたとき、勝敗は決していた
後年のマッカーサーによる仁川上陸作戦を思わせる
0082名無し三等兵NGNG
>>76
でも、熊本がそのまま残っていた場合、海路連絡されて、福岡攻めの後背を
突かれる可能性はどうだったんだろう。
まあ、一般に言われているように、「農民・町人上がりなど一ひねり」という意識
だったんだろうけど。

>>79
重い皮膚病(象皮病?)だったということを聞いたことがあるけど。
0083名無し三等兵NGNG
>>82
それは陰嚢水腫、よーするにタマキソが巨大になる奄美大島の
風土病。
そーじゃなくて、鹿児島に帰郷してた時、兎狩りの最中に足を
すべらせて土手から転落、頭をしこたま木の切り株にぶつけて
それ以来、以前からするとすぐ怒るようになったり、天気の悪
い日などは凄まじく機嫌が悪かった、維新後の西郷の行動には
幕末期の西郷とは別人かと思うようになったが、それはこの、
頭ぶつけた後遺症が関係あるんじゃないか、っていうような話
が、「翔ぶが如く」に書いてあるの。
0084名無し三等兵NGNG
>>78
あの時代におけるスパイ戦の見事さは注目されていい。
0085名無し三等兵NGNG
>>82-83
より正確には、蚊が媒介するフィラリア属の寄生虫
バンクロフト糸状虫症
皮膚が異常に肥大するのが象皮病(脚部に多い)、それが陰嚢なら陰嚢水腫(睾丸も…)
狸の八畳敷伝説の元はこれだとか

寄生虫感染(蚊の吸血)、栄養不足or過労、不衛生の3点セットで発症
S30年代まで奄美群島を中心に見られたが、今日では症例は少ない

城山の首なし死体を西郷さんと確認したのは、肩の古刀傷と八畳敷だったとか
0086名無し三等兵NGNG
西郷の反乱って、なんとなくエルバ島に流されたナポレオンがフランスに上陸
して、100日天下をとったときと雰囲気がにてるな、ナポレオンは成功したけど。
0087名無し三等兵NGNG
てゆーか、自分が起てば士族は自然と自分の方へとなびき、西郷大将を
首班とした軍事政権が作られる、と信じていた節があるな。
右系の人間は、「愛国者なら自分を撃てるはずがない」などといった類似の
現状誤認が何故か得意なんだよな
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