ヒット曲「さすらい」で知られる克美しげるは私より1年ほど先に大阪刑務所に入っていた。
刑務所の中では本名の「津村誠也」である。2年連続紅白にも出場したがヒット曲に恵まれず転落。
愛人に大金を貢がせたうえ、本妻との離婚を迫られると殺害。遺体を車のトランクに入れたまま
羽田空港に駐車し、そのまま北海道に新曲キャンペーンに旅立つが、空港警備員に遺体を発見され
旭川でステージに立っているところを逮捕。判決は10年、実際は7年ほどでは仮釈放したから今の
時代の感覚からすると相当甘い量刑だった。今なら確実に15年から20年は食らうケースだろう。
しかし、津村(克美)はやはり芸能人として知名度があり他の懲役たちからは一目置かれていた。
お調子者のきらいはあったが、ヘンにえらそうな態度はなく、ヘタクソながらもソフトボールや
バレーボールなどすすんで参加する姿勢が好感を呼んだのかも知れない。
あるとき津村が何やら紙切れを持っていた。「何ですそれは?」「ああ、工場でね、歌の指導を少し」
やはり、元紅白歌手という看板は大きかった。津村は年に1度開かれる工場対抗のカラオケ大会に向け
特別コーチを買って出ていたのだ。津村自身はそうした大会で自ら歌うことはない。出れば優勝して
当たり前だからだ。その代わり、花見の季節になると特別ステージとして持ち歌の「さすらい」を披露
した。やはり見事なものだ。
津村は出所後、平成元年に再び覚せい剤事件を起こし実刑判決を受けた。
この時の覚せい剤の入手ルートはあの大刑時代に築かれたものである。
(「31年ぶりにムショを出た」金原龍一より)