>包装紙様

ありがとうございました。
>実在そのものがネックで推論がつかえてしまっているようであれば 、
それは外して 大丈夫だとお答えします。

というのは「実在は間違いないと確信の上で推論を進めてよい」というお言葉だと
思いますので、あらためて佐伯さん「帝銀事件はこうして終わった」を再読中です。
731陰謀論だけをはずしながら、「歯科医師関連は事実」と仮定しながら読んで行くと
まったく別の本のように感じてきます。

ところで平沢受刑者や歯科医師が出入りしていたとされる金屏風のあったロッジですが
ネットにこんな書き込みがありました。

長いですが、佐伯氏の著述の信憑性の裏付けでもありますのでコピペしておきます。

>日本のスキーリゾートの歴史を辿って行くと、戦前の赤倉、志賀高原(丸池)、岩原に行きつきます。
前二つは、観光立国と1940年(皇紀2600年)の東京五輪招致を目指した政府の肝煎りで、
各国高官やIOC委員等を接待するために、昭和12年(1937年)古くからの温泉地に高級ホテル
(赤倉観光ホテルと志賀高原ホテル)を中心に作られたリゾートでした。
 それに対し、岩原は、昭和7年(1932年)、栗田靖さん・フミ子さん、というご夫婦が、
この岩原の地を訪れて、とても気に入り、山荘を建てて、友人たちを招いたのを起源とする、
民間発のリゾートです。
 この栗田さんと言う方は、相当な素封家だったのでしょうね。その山荘は、かなり豪華な物で、
やがて「岩原スキー・ロッヂ」に発展し、戦後、世の中が落ち着くと、多くの芸能人、文化人が
訪れるようになりました。ところが、昭和32年(1957年)、靖氏が急逝したため、ロッヂの
経営は、元勲・岩倉具視の曾孫にあたる、岩倉具憲氏が引き継ぐことになりました。
その具憲氏の姉は、女優の小桜葉子さん、更に言えば、「アルプスの若大将」加山雄三さんの
お母さんです。こうした人々を中心に、岩原には、前にも増して芸能人、文化人が集まる
ようになりました。
 当時を知る人によれば、上越線・湯沢駅に「岩原スキーロッヂ」の客が着くと、ロッヂから雪上車が
迎えに来ていて、その時、周りの人々からの「あの人、岩原スキー・ロッヂに行くのね。」
という羨望の囁きが、まるでさざ波のように広がったそうです。

ttp://homepage3.nifty.com/dawnpurple/naeba2005repo.html

自分は若い頃、加山雄三さんの妹さんと知り合いで、友人たちといっしょにその湯沢に
スキーにさそわれたことがあります。あのロッジだったのか、とびっくりしました。

ヒントをいただきましたので、自分なりに調べてみます。「駅から馬場」だけ皆目解読
できませんがw

>193様  

鋭い突っ込みですね。包装紙様との論戦も楽しみにしております。