帝銀事件5
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0003科捜 ◆OFa0FInsIU
2011/03/18(金) 19:01:45.30ID:???1.昭和30年4月に、歯科医Nが犯人だと直感で判断した。しかし、そのときのこと
を忘れ、そして、昭和33年暮れ、歯科医の処に訪れ、その帰り、昭和30年4月の
出来事を思い出た。
2.義理の父および精神科医により、精神病院に半年間入院させられた。
電気ショック療法、インシュリン療法、持続催眠療法を受けていた。
佐伯氏・探偵が調べたように、当時、歯科医Nは東京にいなく、疎開して新潟
にいたからである。
だから、古い名簿では、行方不明者になっているのである。東京にあまり行った
ことがないので、調べても東京に行ったということが出てこないのである。
変装して、誰からも分からないようにして、東京に行ったというのではない。
歯科医Nは警察の取り調べを受けたと言うが、それは、モンタージュに似ている
からであり、あまり取り調べを受けずに帰されたのは、事件に関係ないからと考える。
私は、捜査本部が言う「三つの現場に現れた男に一貫するのは、水害地、銀行付近
に集団赤痢、進駐軍の中尉の命令で消毒に来た、現送という言葉を使っている。予防
薬を飲んでもらう、と言い、飲むとき琺瑯質の話をして、模範を示している。所持品
は薬瓶、スポイト、救急袋みたいなカバンなど、15項目にわたって似通っている点
で、全く同じ人物と思われ、そこから匂う犯人の体臭は、医療関係につながりがある
もの、しかも1,2回の失敗の経験をいかしているようである」というものと同じ考えである。
歯科医Nがロッジ支配人柿畑誠一を殺害し、酔っ払い用便をしたように見せるため
ズボンを下ろしたという、佐伯氏のすばらしい推理力に、平沢冤罪・歯科医N犯人説の方々が感動したのだろうか?
しかし、上越線の各駅を降り、虎の金屏風を探し求めた行為には敬服する。
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