http://www.geocities.jp/shimin_me/iwateken.pdf

後に殺害される梢Bを、勝幸が宮城県登米に呼び出したのが6/28午後10時過ぎ。
梢Bの消息が途絶えたのが6/29深夜から未明。
夜明けから早朝にかけて、勝幸は自分のケガを撮影し梢Aに写メールを送る。
その後、午前9時頃に弟夫婦宅に勝幸がやってくる。

梢Bを呼び出した登米から弟夫婦宅までの距離は200kmほど離れている。
弟夫婦宅にやってきた勝幸のジーパンは《血だらけ》だった。

その夜病院に行ったり、翌日以降知人・友人宅に寄る勝幸が、
その血だらけのジーパンを履きっぱなしだったとは思いにくい。

勝幸はその血だらけのジーパンで行方をくらましたのか?
宮城県警はそのジーパンを押収できているのか?
小原関係者は、殺害事件発覚後その血だらけのジーパンを警察に提供したのか?