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当時のイズミヤのパートでは開店前の品だしだけの9時から2時間程度の仕事があった。
顔もささないし、レジのようにお金を扱うとかもなく、簡単な作業ということで、人気だった。
現在のイズミヤと比べると、あのころは火曜定休のニチイと木曜定休のイズミヤがかいものの定番だった。
安さではニチイ、イズミヤ、西友、の順で、現在ほどの込み具合ではなかった。
開店時間は朝10時から夕方7時まで。という具合だった。
パートはたいてい新聞の折込か、当時出始めたサンケイリビング新聞というフリーペーパーをみて行く人が多かった。
染物工場も、おそらくそこに載っていたか、もしくは前の職場から出て行った仲間に誘われた野ではないだろうか。
捺染、が付く会社でよく当時募集していたところがある。
捺染の会社では染めた後の生地を洗う機械に入れたり、乾燥機にかけたりといった軽作業を募集していた。
時間的にもそんなに長くなかったはずである。
当時、朝から晩まで働きづめになるようなパートというのはそんなになかった。
 かといって、ダブルワークなどはしているひとはほとんどいなかったと思う。

パートを辞めたら人間関係がなくなるというのはないだろうが、その日2つの事件の被害者がワラビ採りに行く前の時間に
顔をあわせていたのは定かではない。
本人が、行かなくて良かったとまわりに言っているというのは、美容院でのまた聞きに過ぎない。
ソースといわれるとどうともいえない。
ただ人間関係の接点や、秘密を知っているから狙われているひとが3人くらいるというのは、聞き込みの警察官が言っていた。というのを
聞き込みにこられた家のひとが言っていたのは覚えている。
これは放火殺人の後である。
本来なら秘密を知っている人がいるとかいうのは、ワラビ採り事件のあとすぐに出ていいはずのうわさなのに、
放火殺人事件の後で広まったことから、なにかの目的で警察が流していた話だと思っている。

また少し思い出しかけたけど、単に皆さんの邪魔をしてる気もしてしまいました。
私の興味はどちらかというと放火殺人事件のほうで、被害者を生前見知っている分、ワラビとり事件に対する思いが
皆さんと違ってしまうのかも知れません。

宝島から本が出ていることですし、私もそちらを読んでからまた書きたいと思いました。