・小西被告自身がかつて三代目山口組金田組の構成員だった
  ・昭和60年に愛人のマンションを訪れた竹中正久・四代目山口組組
   長が一和会のヒットマンに射殺された際、そのマンションの名義人
   だった
  ・「サージ」の愛称で知られ、平成8年に大阪駅前第3ビル前路上で
   射殺された三代目山口組生島組の生島久次・元組長とは、生島元組
   長が経営していた会社の土地を担保に巨額の融資を受けるなど親交
   が深かった
  ・五代目山口組若頭射殺事件後、山口組から絶縁され、後に解散した
   組の元組長が病に倒れた後、小西被告が理事長を務めていた社会福
   祉法人の運営する施設に入所した
  ・「山口組のキッシンジャー」と呼ばれた元組長を大阪市飛鳥人権協
   会の職員であるかのように装い、保険証を発行させた
  ・六代目山口組天野組の天野洋志穂組長に5億円を融資した