麻原には12人の子がいて、うち松本知子の子は6人である。
当然ながら娘は全員父親似のブスである。

長女(1978年生まれ)
省庁制の際には流通監視省大臣であった。

次女(1981年生まれ)
2000年1月に長男を連れ去ろうとした事件で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。

三女(1983年生まれ)
家庭教師は石川公一。
省庁制の際には法皇官房長官であった。
2000年1月に長男を連れ去ろうとした事件で2月19日に逮捕され、保護観察処分となった。
2004年3月に合格した和光大学から入学拒否されたとして提訴し、
東京地裁は「入学拒否は違法」と認定、和光大学に30万円の慰謝料支払を命じた。

四女(1989年生まれ)
2003年に教団との関係を保つ家族のあり方に疑問を抱き、
後見人となった江川紹子の元に身を寄せる
2010年、ペンネーム「松本聡香」名義で著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店)を刊行。
学生時代はいじめに遭い、
中学の校長からは「父親の所行を考慮すれば貴方は死んでも仕方のない人間だ」と評された。
麻原に死刑判決が下る2004年までは地下鉄サリン事件の詳細を知らず、
自らインターネットや書籍を調べて自分に対する世間の冷たい視線の背景に初めて気付いた。
その後はオウムや一家と絶縁し、ネットカフェ難民やホームレスのような生活をしながらも贖罪の道を模索している。

長男(1992年生まれ)
日本シャンバラ化計画に於いて皇子の称号を与えられた。1996年6月に教団の教祖となる。

次男(1994年生まれ)
日本シャンバラ化計画に於いて皇子の称号を与えられた。
1996年6月に教団の教祖となる。2006年に春日部共栄中学校に合格したものの、
麻原の息子だという理由で入学を拒否された。
次男らは、憲法で禁止された不当な差別によって精神的苦痛を受けたとして、
共栄中学校に損害賠償を求める訴えを起こした。