遺族の陳述など
塚本花菜の父 大切な子供を失った失望や将来への絶望感、さらには経済的圧迫と精神的苦痛が加わり、平常心で暮らすことなどできない状態です。
山下玲奈の母 どうしてお茶とお線香とお花しか供えてあげられないのか、何も買ってやることができないのか、それが悔しくてたまらない。
本郷優希の両親 車を運転していても、涙でハンドルが持てなくなり、このまま対向車線に進めば、自分も死んで優希に会えるかもしれない、
 今の地獄のような苦しみから解放されるかもしれないと思ったりもします(父)。1年7カ月を必死に生きてきました。この思いは一生続く(母)。
森脇綾乃の両親 病院で小さな背中の大きい傷を見たとき、学校に行っているはずの子どもが、なんでこんなところにいて、という気持ちでした(父)。
 常識では考えられないような人間による、考えられない犯行によって、娘を失ってしまったということが、今でも現実として受け入れられないのです(母)。
2年南組の女児の両親 どうしてこんなに短い人生の終止符を打たなければならなかったのでしょうか。日々、苦しめられることは、
 愛する命を暴力によって奪われたとき、人はどれだけ苦しみ、絶望感に襲われるのか、このことをどれだけの人が理解できるのかということです。
2年西組の女児の両親 今でさえ気持ちの整理がつかないままです。
酒井麻希の母 娘が逃げた土間のコンクリートには手形が残る血の跡があり、左手の方は少しでも前に出たいような地面を引っかいたような跡でした。
 痛くて、つらくて、だれかに助けを呼びたかったかもしれませんが、私たちは助けることができませんでした。
戸塚健大の母 私の命を奪われたのも同然です。健大のところへ行って会いたいと、自ら命を絶とうと何度も考え、狂わんばかりに泣き暮らしました。
 今は息をするのがやっとの思いです。

 死亡した8人の児童の両親は、いずれも筆舌に尽くし難い深い悲しみの中で生活しており、その苦悩は、余人には到底計り難い。生存被害者についても、
 身体に受けた被害の程度は極めて深刻かつ重大である。
同級生が次々と刺されるのを目の当たりにした児童らの心の傷は想像を絶する。

遺族の処罰感情
塚本花菜の母 娘の代わりにこの男を刺し殺してやりたい。犯人が近くにいるのに何もしてあげられないことが悔しくてなりません。
山下玲奈の母 子供たちが敵討ちできればそれが一番いいが、残念ながらできません。彼らに代わって自分たちの手で苦しめたい、殺したいと思っています。
本郷優希の父 いつも飛び出して行ってこの男の首をへし折ってやりたい、心臓をつかみ出し踏みつぶしてやりたいと、さくの後ろでいすから半分身体が浮きながらも、
 家族のために押しとどめている。
森脇綾乃の父 単に自分が楽になるために死刑になるというのは許せない。
2年南組の女児の両親 宝物である娘の命を奪った被告の量刑は極刑以外にない。犯罪被害者がこれ以上出ないように、
 他人の暴力で命を落とす人間が出ないよう、最も厳しい刑をもって臨んでいただきたい。
2年西組の女児の両親 何の罪もない娘がどれほど恐ろしい思いをし、痛い思いをして、その中で亡くなっていったのか、被告にも味わわせてやりたい。
酒井麻希の母 この世に生きてもらいたくない。娘を本当に、手をかけ、目をかけ、心をかけて大事に育ててきたのです。
戸塚健大の母 健大がいなくなって、いまだに被告に命があることが理解できません。極刑しか考えられない。私たちにとってそのことが、最低の次元のことです。

「開かれた学校」として開放されていた校門が閉鎖され、事件が社会に与えた恐怖や不安の大きさは計り知れない。
被告に反省の態度はみじんも認められない。「自らの命をもって償いたい」と述べながら、その後「新聞で読んだ判決文の言い方をまねただけで、罪を償う気持ちなどなかった」と、
遺族や家族の心情を思いやるどころか、その感情を逆なでし、怒りを増幅させる不謹慎極まりない供述を続け、人間としての情性の欠如を再認識させる。
自己弁護的な精神的苦痛を強く訴える一方で、一切謝罪することもなく、反省の態度を示すことはなかった。犯行後、統合失調症を装って罪を免れようとし、
犯罪性向を矯正することはもはや不可能だ。
大量殺人で自己の不愉快を解消しようとした動機はただただ悪質。謝罪も一切なく、極刑以外にあり得ない。