宅間という男は重大犯罪を犯した。何の罪もない子供を無差別に殺戮した。
そして、あまりにも大きな罪により、法の裁きを受け、死刑となった。
当たり前である。国は宅間に「死刑」という罰で、社会的責任をとらせたのである。
殺人という重大犯罪を犯した者は「死」持って責任をとる、というのは社会という集団社会を
構成している以上、当然である。宅間が犯した「無差別大量殺人」と、国が行う「死刑」を同列に語るのは、
実に馬鹿馬鹿しい。国が行うの死刑とは、無差別大量殺人ではなく、ある一定のルールと、
法に基づいて執行されるものである。よって「単なる殺人行為」ではなく、「刑罰」なのである。