柴田哲孝著『下山事件 最後の証言』(文庫版) 173ページ
 いったいこれはどういうことだ? 末広旅館の夫婦は亜細亜産業と関係があっただけでなく、自殺論を展開する捜査一課の現場責任者
とも旧知の仲だったということになる。
 長島勝三郎と「顔見知りだった」とされる関口由三は、警視庁を退職後の昭和四十五年、『真実を問う 下山事件捜査官の記録』を
サンケイ新聞社から発表している。この本は、もちろん捜査一課の見解を主張する”自殺論”だ。その中で関口は末広旅館について触れ、
長島勝三郎について「経歴から見ても対談しても、りっぱな人であった」と評しているが、「知り合いだった」とは一言も書いていない。ちなみに、
長島フクの調書を作成したのも、関口由三である―――。

関口由三著『真実を問う 下山事件捜査官の記録』 109―110ページ
 同日、主人の長島勝三郎さんの調書も作成している。その内容の要点は、
 大正十年警視庁巡査を拝命、鳥居坂警察署勤務、交通、特高係りをやる。父長島信也は警視庁剣道師範で芝三田で道場を開いて
いたので、その助教をしていた。父が死亡し恩給もついていたので、昭和八年五月三日辞めて向島吾嬬町の合資会社前田鉄工所支配人
となり、昭和二十年三月辞め、現在は株式会社日本リヤカー工場の監査役をして、妻名義で旅館を経営している。下山総裁に似た人が
休まれたことを初めに三男の正彦君が気づき、家内もほんとに間違いないということで、届け出たものである。人に依頼されたり虚偽のことを
申し上げたのではなく、私も妻もそんな人間ではない。
 と証言している。経歴から見ても対談しても、りっぱな人であった。


今まですっかり勘違いしてたんだが、平成三部作は末広旅館の主人が「元警察関係者で関口刑事の顔見知り」であることを明らかにした
んだと思ってたが、警察関係者だったことはとっくの昔に関口氏自身が著書で語っているんだな。こうなると随分印象が違う。
Wikipediaの下山事件の解説もそこらへん勘違いしてる感じがする。ここ見てる人は勘違いしてなかった?