>>50 朝日新聞1949年7月7日東京本社版(7版)1面・轢死体写真の左

なお、死体発見の現場はいままでも死亡事故が多く、地元民は「魔の
ガード下」と呼んでいた(中略)、昭和十二、三年ごろまでは特に
自殺者が多く、その供養塔まで建つた、今年に入つてからも自殺三件を
出している、結局自殺にも他殺にも最適の場所だと付近の人々は語つて
いる

ちなみにこの日の朝日新聞は「他殺説が決定的」「他殺説に四つの根拠」