【国鉄】下山事件【総裁】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
NGNG1949年7月5日、時の国鉄総裁・下山定則が、出勤途中に公用車を待たせたまま三越日本橋本店に入り、
そのまま失踪、15時間後の7月6日午前零時過ぎに常磐線・北千住駅―綾瀬駅間で轢死体となって発見された事件。
松川事件、三鷹事件と共に、国鉄の戦後三大ミステリーの一つとして知られている。
また、「戦後史最大の謎」と言われることがある。
0459名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/09(木) 08:56:16ID:fNB55w2a錫谷や佐藤一などの本を1冊、2冊読んだだけで、それだけで思いこま
ないように。
>二合もの油が染み込んでいたのに、遺体に油が付着していたという記述を
>見ることが出来ないのも不可解。
いくつもの資料にちゃんと記述されているよ。
(例・ソース)
秋谷教授の談話(解剖台の上の総裁の遺体に関して。また衣服に関して。)
”謀殺 下山事件 矢田喜美夫 講談社刊”p.152
それと、佐藤一の蒸気機関車に潜り込んで拭き取って油が一杯
付いたというのと、総裁の遺体に油がたくさん付いていた=
イコールというのは、強引なこじつけ。機関車は油をまき散らす
ということの証明にはならないんだよ。
それだけの短い距離で、それだけの量の油をまき散らしていたら
蒸気機関車はとっくに潤滑油がなくなって焼き付きをおこして
立ち往生すると、機関士(とっくの昔に故人)に聞いたことがある。
それと、油の種類も轢断機関車D51651に使っていた油との違いも
ちゃんと検証されている。
0460名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/09(木) 15:34:51ID:???おいおい。
秋谷が「蒸気機関車の下にもぐってくまなく油をぬぐったが、5g(だっけ?正確な数値は覚えてない)
しか取れなかった。下山の服から検出された油だけでもこれ以上の量があるから、量の問題だけで
これは蒸気機関車の油ではないことがわかる」と主張したのに対して、佐藤は「実験したら機関車の
下の油はもっと分量があった。従って、量の問題だけをもって下山油が機関車の油でないとは言い
切れない」って反論しただけ。それだけをもって下山油=機関車の油とはしていないし、ましてや
機関車が油をまきちらすなんてことは一言も書いてない。
また、機関車に使われていた油との違いに関しては、「秋谷鑑定」(この「鑑定書」として一般に流布
しているものの出所についてもいろいろあるけど長くなるので割愛)の検証も詳しく行っている。
結論をまとめると、「鑑定書では、機関車の油は100%鉱物油という実験データ(ほぼ理論値どおりで、
数%の植物油の混入もないというデータ)が出ている。しかし、物資不足だった当時、機関車の油には
5〜20%程度は植物油が混ぜられていた。にもかかわらず100%鉱物油という実験データが出るのは
おかしい」というもの。
また、下山油が植物油(ぬか油)であると鑑定する段でも、あまりにも理論値通りの実験データが
記載されているなどの疑問点を指摘している。
「秋谷鑑定」に関してはそのほかにもつじつまが合わないところが多く、個人的にはあまりアテに
ならないと思っている。そもそも上にも書いたけど、「秋谷鑑定」とされているものが本当に秋谷教授
が書いたものかどうなのか、未だに不明だしね。
0461名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/09(木) 19:17:14ID:fNB55w2a油の分析に関しては、鹸化数でやっており、機関車の油とは異なる
というのは明確に出ているよ。また、植物油を混ぜているケース
があったからといって、それが轢断機関車に使われていたという
証拠はない。その意味では轢断機関車の油をチェックして調べて
出されている結果を尊重すべきではないかね。
また、轢断前に総裁が横たわっていたと考えられる場所のレール、
枕木に大きな油染みがあるということは総裁の体に付着していた
ものがレール等に付着したと考えるべきだろう。
また、総裁の上着の内側には微量のぬか油が付着していたが、
外側には付着していなかった。機関車からの付着というには
無理がある。
しかし、総裁が着ていた下着に関しては、機関車が牽引していた
貨車の車軸に巻き付いて水戸まで行っており、これからはちゃんと
鉱物油とぬか油の両者が検出されている。
鑑定書は秋谷が書いたかどうか、あるいは部下の助手が書いたか
どうかはわからんが、一緒に作業しているスタッフが合同で書いて、
秋谷が最終的にチェックしたということも考えられるが、それに
対して何の問題もない。
下山油がぬか油と決定されたのは鹸化数で判断したのであって、
そのときトウモロコシ油でも同等の鹸化数だったが、当時は
トウモロコシ油は全く世の中には出回っていなかったので、
ぬか油にしたのであって、理論値通りだからというわけではない。
また、いろいろ科学実験や機器を使って測定した経験があれば、ほぼ
理論値どおりに出るケースのほうが圧倒的に多いというのが解るがね。
(まあ当たり前のことだが)
0462名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/09(木) 21:31:19ID:fNB55w2a昭和25年の衆議院会議記録の中に電力再編成に関する利権の
問題が見え隠れしていて興味深い。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/008/1294/00811201294018a.html
0463名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/09(木) 22:13:11ID:fNB55w2a>血だって、線路の下は敷石なのだから、石と石との間を伝って下層に
>吸収されて、尚且つ数時間にわたって雨、しかも中途は豪雨だったら
>表面は洗い流され地中に染み込んじゃうわな。
>線路の下に穴を掘ってまで、現場検証したという話ってある?
もう少しちゃんと調査して欲しいな。
東京地検では約2ヶ月後の9月14日に線路の下の土を最深で
115cmまで掘り下げて調査しているよ。いずれの場合もベンチ
ジン反応で有効な血液反応は出なかった。
0464名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/09(木) 23:16:39ID:???頼むからちゃんといろんな本を読んでよ。
まず、「秋谷鑑定」では轢断機関車の油をチェックしたわけじゃない。無関係な機関車を調べただけ。
その意味では、佐藤がやったこととそれほど変わったことをしてるわけではない。
それから、「秋谷鑑定」を誰が書いたかっていう以前に、「秋谷鑑定」と現在呼ばれているものが
どのようにして世に知られたかということが問題。要するに、「秋谷鑑定」として世に知られている
ものは、単に週刊誌に「これが秋谷鑑定だ」として掲載されたものであって、裁判にきちんとした
鑑定証拠として提出されたものではない。誰が書いたかなんてのを問題にしてるわけじゃない。
…こういう香具師が書いたことも、後々「下山事件に関する事実」として流布しちゃうのかなあ。
森達也にナッシュ47型に関する証言を捏造された柴田さんの気持ちがちょっとわかる気がした。
個人的には他殺説寄りなんだけど、こういう香具師が「自殺説を唱えてるのはアフォ。他殺に
決まってる」みたいな書き込みをしてるのを見ると、自殺説にちょっと肩入れしたくなってしまう。
0465名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/09(木) 23:33:30ID:fNB55w2a>まず、「秋谷鑑定」では轢断機関車の油をチェックしたわけじゃない。無関係な機関車を調べただけ。
そのソースは?
”謀殺 下山事件”の矢田は東大法医、裁判科学のチームに密着して
いて報告を書いている。
”機関区では、おりから入庫していた轢断機関車D51561機関車の下に
入り、D51がつかっていた車軸油や転輪についていた鉄粉、ゴミを
まじえた油を布でぬぐい取りもした” (講談社刊同書 P.153より)
0466名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/10(金) 08:04:29ID:???なんだかなぁ。。
0467名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/10(金) 13:27:29ID:???ああゴメン。書き方が悪かったね。確かに誤解されてもしょうがないや。
確かに「秋谷鑑定」で出てくる機関車は、下山総裁を轢断したD51 561機関車だ。
でも、「秋谷鑑定」には、「1ヤールの木綿地をもって」「車両底部のあらゆる個所を拭いて得た油量」
が「4.5cc」と明記されている。この「4.5cc」というのは「重要な意味を持つ」と強調されているし、
その後の記述にも出てくるからミスプリではない。しかし、4.5ccというのは、普通のスプーン1杯
にも満たない量で、あのデカイD51の底部にそれしか油がないというのは常識的に考えられない。
実際、佐藤一が同型のD51機関車5台を拭き取り調査したところ、得られた油の量はそれぞれ
97g、77g、51g、88g、78g(これは抽出した油の量で、付着物自体はもっと多い)だった。油の
比重は0.9なので、ccに直すとそれぞれ1割り増し、ということになる。これと「4.5cc」を比べれば、
12倍〜23倍ということになる。
しかも、佐藤は「あらゆる個所を」拭き取ったわけじゃない。機関車の一部しか拭き取っておらず、
面積比で考えるとこの10倍以上、「4.5cc」の200倍をはるかにこえる量の油が機関車下面には
存在するとおもわれる、としている。
佐藤の書くことを全面的に信用するわけじゃないが、D51下面の油の量がスプーン1杯というのと
1リットル近いというのでは、個人的には1リットルの方が実感に合っていると思う。
要するに、「秋谷鑑定」に出てくる「4.5cc」というのが事実であれば、好意的に解釈してもそれは
既に洗浄・再整備されてしまった機関車を調べたということであって、事件当時の「轢断機関車」
を調べた結果とはとても言えないということだ。
ましてや、「鉄粉、ゴミをまじえた油を布でぬぐい取りもした」と記述される状態で4.5ccというのは
とても考えられない数値で、矢田は本当に現場を見て書いたのか、ということになる。
その意味で、佐藤がやった実験とそれほど差があるとは思えないし、特にその「4.5cc」をもって
「量だけで考えても下山油は機関車の油ではない」という証拠とするのは明らかな間違い。
0468名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/10(金) 20:57:08ID:dGVwERkjその油の量で下山の衣服や線路上に大きな量が付いていたもの
(以下、下山油)と機関車の油を比較して、それが決め手だと
言っている秋谷鑑定のソース(週刊誌ネタとのことだけど)を
明確に教えてもらえないかな?
俺がチェックした秋谷鑑定は、秋谷の裁判化学教室に机を持って、
他のメンバーと鑑定を手伝っており秋谷自身が助手と呼んでいた
矢田のレポートと、文藝春秋の昭和48年8月号に載っていた東
京地検+捜査2課のレポートだけで、寡聞にしてそれ以外は知ら
ないのでね。
そのいずれもが、量によることは述べていなくて、それぞれの油
の屈折率の違い、鹸化数、酸化数による違いの化学分析で機関車
に使われている油と、下山油との違いを明確に述べていて、その
量に関することでの判断に関しては、全く触れられていないんだ
けどね。
0469名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/10(金) 23:21:53ID:???「週刊誌」っていうのはこれも俺のミスだった。スマソ。
ご指摘の通り月刊誌である文藝春秋の昭和48年8月号に、「機密文書・下山事件捜査報告」として
掲載されたもの=通称「秋谷鑑定」のこと。
その「秋谷鑑定」の中に、先に引用した4.5g云々の後、「轢断車でつき得る車両油はD51651の車底
から採取した量4.5gで判る通り、すこぶる微量である」という記述がある。
その記述を元に、例えば斎藤茂男は「教授がサラシの布をもって下山氏を轢断したのと同型のD51
機関車と貨車の下にもぐって、くまなく油をふきとってみたが、わずか数グラムしか検出できず、
これに対して下山氏の衣類に付着していた油は163.8グラム。(中略)これは明らかに轢断現場で
付着したものではない」と論じている(『夢追い人よ』)。また、柴田本でも、「機関車には、これほど
大量の油は使用されていない。実際に秋谷教授は同型のD51機関車や(原文ママ)貨車の下に
潜り込んで布で油をぬぐってみたが、数グラムしか検出できなかった」(『下山事件 最後の証言』)
として、他殺説の根拠の一つとしている。
確かに「秋谷鑑定」そのものは油の量をもって云々とは直接論じていないが、「すこぶる微量である」
という言い回しで、油の量が決め手の一つであると「示唆」している。それを受けた他殺説論者の
著作では、より明確に油の量を問題にして、他殺説の論拠の一つとしている。
それは明らかに違うだろ、ということ。
前にも書いたけど、俺自身は他殺だと思っているし、柴田本で指摘されている犯人像はかなり
核心をついているんじゃないかと思う。でも、だからといって、自殺説で提起されている疑問点を
ないがしろにしていいというものでもないと思うんだよね。
0470名無しさん@お腹いっぱい。
2007/08/11(土) 01:21:01ID:???あんまり違いはないけど。
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