>>689
1950から60年代は90分くらいの2本立てが当たり前だったんだよ
そんなに予算を使わず早く量産するプログラムピクチャーというやつ
東映が初めて好評だったから各社が追随した
ところが70年代に入るとテレビの普及やレジャーの多様化で邦画各社の業績悪化がひどくなった
そこで東宝が日本沈没から2本立てをやめたら興行的に成功したから各社が製作本数を減らして2時間以上の大作で一本公開を定着させた
寅さんはプログラムピクチャーの末期に始まってその名残りで2本立てが続いてたわけ