岐阜のバカはこれを、よく読め!


「我慢の3連休」だったのに、なぜ人は「経済」を優先したのか
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2011/24/news039.html

 新規感染者が全国で急増していることを受けて、日本医師会ができるだけステイホームしようと「我慢の3連休」を呼びかけた。
 しかし、その一方で3連休の人出を見る限り、医師会や菅総理の呼びかけはあまり世間の人々には届いていないようにも見える。
 では、なぜこれほど感染拡大の危機が叫ばれている中で、「我慢」しない人が増えているのか。個人的には「経済活動の重要さ」をあらためて再確認した人が増えているからではないかと思っている。つまり、「我慢」をして、家の中でじっとしているよりも、「我慢」をしないで外に出て、モノを買い、食事をしたほうが救われる命もあるのではないか、と感じている人が多いのではないか。

 警察庁の調べによると、10月の自殺者数は2153人で、前年同月に比べ約4割も増えたというのだ。ちなみに、同じ10月、新型コロナによる死者は191人である。ウイルスで命を奪われた人の10倍以上もの人が自ら命を絶っているのだ。
 もちろん、自殺の動機は人それぞれだが、リーマンショック後に自殺者数が増えたように、失業率と自殺には相関関係があることが分かっている。厚

 また、新型コロナは経済的弱者ほど心が疲弊することも分かっている。東京医大などのチームの調査によれば、今年2月と4月のコロナ禍で、重いうつが疑われるほどのメンタルヘルスが悪化した人の割合は、年収が低いほど多かった。

 つまり、新型コロナにかかるかもしれないという不安より、コロナ自粛で経済活動がストップしたことによる、失職や収入減などのほうがはるかにメンタルヘルスに悪影響を及ぼしている可能性があるのだ。
 「我慢」をして自宅に引きこもっていれば、確かに重症化リスクの高い高齢者などに感染を広げることはないので、救われる命がある。しかし、「我慢」をしないで外に出て、買い物や食事を楽しむことでも、救われる命がたくさんあることを、この半年間で多くの人が痛感しているのだ。

 というと、「命よりも経済を優先するのか!」とか「そういう無責任な考え方が感染拡大を招いて、医療従事者を苦しめるのだ」と憤る方も多いかもしれないが、これは別に命と経済を天秤にかけてどっちを選べばいいのかというような類の話ではなく、人が生きていくうえで何が必要なのかという話である。

 夢や目標を追い求めるのが生き甲斐だという人もいれば、家族や大切な人を守ることに命をかけている人もいる。もちろん、そのためにも、健康で病気にならないようにしなくてはいけないわけだが、それはあくまで手段であって、生きる目的にはならない。
 人間というのは「病気にならない」ために生きているわけではないのだ。もちろん、感染症の場合、拡大を抑えることは社会全体で取り組まなくてはいけないが、死者がどれだけ出るのかなどのリスクを考慮して、社会活動とのバランスをとってきた。

 実際、これまでわれわれの社会はそうやってきた。例えば11月23日、新型コロナの国内死者数は2000人になったとニュースになっていたが、2019年の人口動態統計月報年計(確定値)によれば、昨年1年間でインフルエンザで亡くなった人は3575人である。
 ワクチンがあって、予防啓発がなされていても残念ながら毎年、日本のコロナ患者13万人を遥かに上回る1000万人もの感染者が出る。そして、高齢者などが重症化してこれだけの人が亡くなっているのだ。

 しかし、われわれはインフルエンザのために経済活動を止めてこなかった。3575人の命や医療従事者の負担を軽視してきたのではなく、経済活動を止めることで、もっと多くの人たちが「経済死」をしてしまうからである。
 広島大学などの調査では、認知症の高齢者がコロナ禍で外出を控えたり、人との交流を控えたりすることで、認知機能や着替えなどの日常動作が衰えた人が4割近くいたという。「我慢」することでコロナの重症化リスクを避けることはできたが、その代わりに心や体が壊れてしまったのである。

 今の日本は、新型コロナで死ぬよりも、孤独や不安、そして貧困で死ぬ人のほうが遥かに多いのだ。

 このまま感染者が増えていけば「我慢の年末」「我慢の正月」という感じで、自粛ムードが高まっていくのは間違いない。感染を抑えるためには致し方ない部分もあるが、活動を制限されることによるメンタルヘルスの悪化や「経済死」の増加がこれだけ出てきた以上、「我慢の副作用」についてももっと議論すべきではないのか。